224)祖父と孫と高尾山

 「世界のサカモト」と評された音楽家坂本龍一さんが3月28日に亡くなられた。死因は明らかにされていないが、20年6月に直腸がんと診断された。両肺などにも転移し、ステージ4と公表していた。死の直前には「つらい。もう、逝かせてくれ」と、家族や医師に漏らしていたという。心からご冥福をお祈りいたします。

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 高尾山は東京の郊外にある599メートルの山である。東京都心から近く、年間を通じて多くの観光客や登山客が訪れる。古くから修験道の霊山とされた。外国人にも人気で、年間の登山者数は約260万人を超え、世界一の登山者数を誇る。

 

    

 

 孫K男が4、5歳のころであった。山好きの祖父はK男を山に連れて行きたくて仕方がなかった。そして、ある日曜日リュックを担いで、2人で高雄山に登った。K男は小さい割には足腰が強く、高尾山の頂上まで登ることができた。

 

         

 

 山頂では、祖父が用意したガスバーナーでお湯を沸かし、インスタントラーメンを作った。頂上でのインスタントラーメンは飛び切りおいしかったようで、K男も上機嫌で、ぺろりと平らげた。

 

        

 

炊飯道具を片付け、下山を始めた時であった。K男がトイレに行きたいと言い出した。それも大のほうを催したらしい。祖父は、すぐ近くにトイレがあることを思い出し、K男をうながして元来た道を戻り始めた。

 

「すぐ近くにあるからねー。」

 

すぐ近くと言っても、上り路を少し歩く。しかし、トイレが見えてきた時、祖父は愕然とした。すごい人の行列であった。ちょうど昼時で、また、日曜日と来ているから、たくさんの人が長蛇の列を作っているのであった。

 

     

 

仕方がないので、最後尾に並ぶ。孫はだんだん強く便意を催し始めてきた。長蛇の列なので、順番がなかなか回ってこない。孫は左右の足を交互に踏みながら、ぐっと我慢した。

我慢がかなり長く続いた。孫の我慢がだんだん限界に近づいてくるのが分かる。両足踏み鳴らす間隔がどんどん狭くなってくる。しかし、順番はなかなか回ってこない。

         

最後の2、3人というところで、祖父は「子供が・・」と言って、順番を飛び越させてもらった。

ようやく間に合った。

 

    

 

孫もよく我慢したものだ。きっと苦しかっただろう。

そのトイレはドアの上下が空いていて、中の様子が垣間見えた。用を足してホッとしたのだろう。K男はお尻を拭き始めた。1枚拭いては紙をのぞき込む。紙に便がまだ付いている。2回目、3回目、やっぱり便が付いているのか、孫は丁寧に、何度も拭き取ろうとする。

祖父は途中で、「大丈夫だよ。」と言って、孫に拭くのをやめさせた。

孫のその仕草が可愛かったのか、後年その話をする時、祖父はまるで目に見えるように楽しそうに話す。

 

祖父は孫と高尾山へ行けたことが本当に嬉しかった。孫と山登りをするということは、登山の好きな祖父にはこの上なくうれしいことだったのだろう。

それから数か月して、再度高尾山に登ることになった。祖父は孫のために、子供用の登山靴を準備していた。それを車に乗せて、朝早く孫の家まで迎えに行った。

          

 K男はパパとママ(つまり、祖父の娘と娘婿)といっしょに家の入口まで出てきた。祖父は、入り口で孫が乗り込むのを待っていた。

 

その時である。

K男が突然大きな声で泣き出した。

 

          

 「行かないー! 行かなーい!」と言って、大声で泣き始めたのである。その泣き声は、めそめそというのではなく、大声で泣き叫ぶというのであった。

娘も娘婿も慌ててなだめすかした。しかし、孫はえんえんと泣くだけで、車に乗ることを断固と拒否した。

 

 祖父は冷静な人であったので、しばらくして静かに言った。

 

「じゃ、今日は高雄山へ行くのはやめよう。」

 

 祖父にしたら残念ではあるが、こう泣かれては無理に連れて行くわけにもいくまいと判断したのであろう。祖父はそのまま自分の家に向かって車を発進させた。

 

祖父が買ってやった靴はどうしたのだろう。

 

        

 

 孫はなぜ行く間際になって、拒絶反応を引き起こしたのだろうか?

はっきりした理由は分からないが、前回の高尾山でのトイレ事件が後を引いているのかもしれない。

前回のトイレの順番待ちの間、きっと本当につらかったのであろう。

今回再び高尾山に行くとなった時、孫はあのつらさを走馬灯のように思い出したのであ

ろうか?

 

その孫もこの4月から社会人として旅立っていく。