164)怒らない人になる方法

 脳科学者の茂木健一郎は昔は怒りっぽい人間であったという。しかし、現在では、もちろん怒りを感じることはあるが、適切にコントロールすることができるようになった。

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 著書『怒らない脳』 (2020,徳間書店)によると、人の怒りがピークを保つのはせいぜい10秒程度なので、その10秒を乗り越えれば怒りを抑えることができるという。

 茂木は本書で10秒を乗り越える怒りのコントロール法いくつか挙げているが、継続的に「怒らない人」になるためには、「怒らない習慣を身につける」ことが大切であるそうである。

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 茂木さんはその習慣について、次のように紹介している。

 

【怒らない人になる習慣を身につける方法】

・(相手の)いいところを見つける。

 いいところを見るようにすれば、相手がちょっとイラッとさせる行動をしたとしても、「そういうところもあるよね」と受け流すことができる。

・ボーッとする。

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 人間の脳にはデフォルト・モード・ネットワークという、何もしていない時に働くアイデア回路がある。それはイライラしたり、カーッとなる時には働かない。一日5分でもボーとした時間を作って、新しい回路を働かせよう。

・一日のうち、せめて5分は何もしない時間を作ろう。

 前項「ボーッとする」と同じ。

・雑談する。

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くさんの回路を使う、脳を活性化する行動・手段でもある。1日数分でいいので、「雑談タイム」を設けて、なるべく多くの人と話をし、共感するようにする。

・慣れないことをやってみる。

 誰にでも慣れないことはたくさんある。それを一つずつやっていけば、脳に新しい回路が作られ、脳を活性化する。

・人にものを頼まない。

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 人にものを頼むことは、むしろ怒りを誘発する原因になりかねない。できることはなるべく自分でやる。そうした自律的な生き方が怒らない人になる道となる。

・ながら仕事をする。

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 同時に複数のことをすることは、脳に新しい回路が開かれ、脳を活性化する。

・キレイな言葉を使う。

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 きれいな言葉を使っていると、思考や行動、価値観にもそれが反映される。

・朝早く起きる

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 朝早起きをすると、幸せホルモンであるセロトニンが分泌しやすくなる。それによって共感力が強まり、怒りを覚えることが少なくなる。

・気遣いをする。

 相手が喜んだり満足したりするように、こちらが適切に行動する。相手の脳を「快」にすることで、自分自身の脳も「快」なる。(「快」とは「楽しく/気持ちよく」する/なるの意味)

・成功した人を祝福する。

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 成功した人を羨む、ねたむのではなく、自分のことのように彼らの活躍を喜べば、脳が「快」になる。

 

 皆さんはこの10の事柄がいくつできるでしょうか? 一見、難しくないように思えますが、実は意外に簡単ではなく、やっぱり努力が要るかもしれません。

 

   茂木さんの『怒らない脳』を読んでいた時、次のような詩に出会った。いらだたしい気持ちに対する作者のとらえ方が、私の心に非常に深く響いてきた。

作者は現役銀行員であり、詩人である。

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「新しい靴下」 田中冬二

 

銀行へ出ていて

ふと、いらだたしい気になることがある

そのときわたしは思う

今日わたしは 新しい靴下をはいているのだ、と

その思いがわずかに

悲しい心を制してくれる 

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この詩は、私達人間は、「新しい靴下をはいている」という、ほんの小さなことにでも、いらだちを静めたり、元気をもらったりできるのだを言っている。