パラリンピック開催の2週間どっぷりとテレビ観戦した。パラリンピックの何たるかをつかみたいと思ったし、障害者を真正面から見つめてみようと思った。
結論的には、彼らのことがすっかり好きになり、彼らの試合が非常に興味深く、心から楽しむことができた。
前回のエッセイ「2020パラリンピック①」時点では、パラリンピックの目的は、「障害者の人達の努力と頑張りの披露」、そして、「健常者がその努力と頑張りに感動、自分達も頑張ろうという気持ちになること」だろうと、私は考えていた。
その考えが打ちこわされたのは、パラトライアスロン銀宇田秀生選手の言葉であった。彼は結婚直後に仕事上の事故で右腕を切断した選手である。
彼は言った。
「障害者としてではなく、アスリートとして見てほしい」
「健常者と同じ量と質のトレーニングをしてきた。競技力を評価してほしい」
私は少しびっくりした。
「えー、障害者としてでなく、アスはリートとして見る?」「なぜ? 記録だって大したことはないのに・・・」
銀宇田氏のとらえ方は私にとっては全くの新しいとらえ方であった。
そうか・・、彼らはアスリートとして大会に臨んだ人達だったのだ。単に障害を乗り越えるためにだけ努力をしてきたのではなく、選手として、より速く、より強く、より上手くなることを目指して頑張ってきた人たちなのだ。
結果的に健常者の記録に比べてかなり劣るとしても、最大限の努力と練習を積んで、より高度な技術力を獲得しようと頑張ってきたアスリートなのだ。彼らはそれを見てほしいのだ。
他の水泳選手の問いかけにも厳粛な気持ちになる。
「障害を生かして、どのようにしたら泳げるか。残された機能でできる技術は何か?」
彼らは障害と真正面に向き合い、障害を補い、生かす技術を編み出してきた。単なるハンディキャップを背負った可哀そうな人達ではないのだ。
パラリンピックには、いろいろな種目がある。ゴールボールやボッチャ。あの的確な命中力は日ごろの努力以外の何物でもない。
車椅子ラグビー、車椅子サッカー、車椅子バスケット、車椅子テニスなども、白熱した試合での力と力のぶつかり合いが見事であった。
通常のオリンピックもそうだが、特にパラオリンピックでは選手の世話をする人の存在が欠かせない。マラソンやランニングでは同伴者が要る。視覚障害の水泳選手にはターンが近づくことを知らせるタッパー(タッピング棒を持っている)が必要である。
パラリンピックの試合そのものが関係者や、世話人、ボランティアに支えられたものなのである。パラリンピックは選手1人で成し遂げるものではなく、共同作業による大会である。
人は1人では生きられない。そこには他の人への感謝が不可欠であろう。
多くの選手が、パラリンピックを開催してくれたことへの感謝、関わってくれた人々への感謝を述べていた。
もう一つ私が感じたのは、次のようなことである。
競争や試合は、通常、他と比べることから始まる。競争相手との記録の比較、過去の記録との比較、世界新、大会新、自己記録の更新など、比べることが基本になる。
しかし、パラリンピックはちょっと違う。選手はもちろん勝つということが大きな目標ではあるが、彼らは隣の人とか、トップの人とかと比べることが少ない。目が見えなかったり障害があったりして、他の人が見えにくいこともあろうが、彼らは自分の行為を遂行することで精一杯であり、他との記録の比較は二の次なのかもしれない。
もしそうなら、それは面白いことだと思う。競争相手のことをあまり気にしないで、自分だけに集中し全力を使い切る。これはある意味でアスリートとして理想の形ではないか。
パラリンピックを見ていくうちに、選手の人達の顔を覚え、名前を覚えるようになった。彼らに、もちろん私はテレビを通してであるが、親しみを覚えるようになっていった。彼らが友達のようになり、彼らを本気で応援するようになっていった。
「現象学」が教えてくれたように、彼らとともに生きること、つまり、彼らを生きるということを通して、パラリンピックを理解でき始めたことをうれしく思っている。