109)女友達の一人

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 Y代と知り合ってから、まだ10年少しである。市の公民館のカラオケサークルに入会したとき、彼女はすでにメンバーであった。I県土着のおばちゃんといったタイプの人で、体も太っているが、肝っ玉も太い。よくカラオケの先生に歌が訛っていると言われていた。

 夜に突然電話がかかってきて、「あした、フキを取りに行くんだけど、行かない?迎えに行くよ」とか、朝早く「ニラ要らない?今から寄るから」といった感じで、誘ってくる。

 おしゃれ好きで、出歩くのが好きで、友達もいっぱいいる社交的な人である一方で、家庭菜園を大事にしていて、「畑をしているときが一番楽しい。これで私はもっているのよ」とも言っていた。

相手の気持ちをすぐおもんばかってしまう私には、彼女のストレートさが気が楽である。

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 一方で、彼女には繊細なところもあり、人の家には玄関の中でも入らない。外で話そうと言って、人に迷惑をかけることを避けようとする。気前が良くて、カラオケの会合では必ず皆のために何かを持って来る。お菓子のこともあるが、バナナを何本も持ってきたり、ゆで卵を全員分の数だけ持ってきたりする。それをさりげなく人に渡し、渡したことを気にもかけない。

 彼女は向上心があって、公民館の市民サークルの「やり直しの英会話」なるクラスに入っている。英語なんかできないと言いながら、結構楽しんでいるようだ。

私が出版した日本語の類義表現に関する参考書を、一番最初に買ってくれたのは彼女だった。もちろん彼女は外国人に対する日本語教育は素人である。

 しばらくしてかかってきた電話には苦笑させられた。次は彼女との電話のやりとり。

 

「私の本、少しでも見てくれた?」と私。

 

「うん、すごいなとは思ったけど...」

「思ったけど、なあに?」

「難しいこと書くんだね」

「え・・・?」 

「なんか、分かることをわざわざ分かりにくく説明しているような気がする」

「・・・・・」

「説明読んでいても、かえって分からない」

「・・・・・」

 

 彼女の批評は的を得ている。外国人のための参考書なので、いろいろ文法的な理屈を入れて説明している。かえってそれが分かりにくくしているということなのだ。

 外国人に日本語を学んでもらうためには、説明が必要だとは思うが、もしかしたら、いや、たぶんきっと、彼女の直観のほうが正しいという気もする。

 分かりやすい「日本語の本」とは、外国人だけでなく、普通の日本人が読んでも「なるほど」と思い、楽しめるような説明なのであろう。

 

 でも、成人の外国人には辻つまの合う理論が必要である。理論の積み重ねによって、外国人は言語の仕組みを知っていく。

 理屈と自然さの調整が私にはできない。長い間日本語教育に関わっていて、いつまで経ってもできないでいる。

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