朝、私たち夫婦はいつものように7時半からのテレビニュースを見ていた。ミャンマーの政情不安のニュースが取り上げられていた。
ミャンマーから帰国した日本女性が、空港でテレビ局の取材者から、「日本へ帰りたかったですか?」という質問を受けた。女性はそのとき、「帰りたいとは思いました」と答えた。
ここで日ごろ言葉に敏感な夫が、「「帰りたいと思いました」だろう?」と不審な顔をした。つまり、彼女の言った「帰りたいとは思いました」という表現に不信感を抱いたのである。
夫の主張は、「とは」を使うなら、「思いましたが」「思いましたけど」のような「が」「けれど/けど」(つまり、逆接の表現)が必要だし、もしそれを使わないなら、「と思いました」と言い切るのが正しいであった。夫にとっては、次の(2)はおかしい(?)ということである。
(1)国に帰りたいと思いました。
(2)?国に帰りたいとは思いました。
(3)国に帰りたいとは思いましたが/けれど、(ミャンマーのことも心配で・・・。)
ここには「~とは」、厳密に言えば助詞「は」が関わっている。
助詞「は」は典型的には、「私は医師です」「今日はいい天気だ」「私は行く」「私は行かない」というような使われ方をする。つまり「は」の前に来る語について、それは「何だ、どうである、どうする」などの説明をする役割を持っている。
日本語を習い始めた外国人が自己紹介をするとき、「私はインド人です。私は技術者です。私は27歳です。私はムンバイに住んでいます。私は結婚しています」と、「私は」を繰り返して紹介しようとすることがある。「~は」「~は」と続けざまに言われると、押し付けがましく聞こえて、日本人はよい印象を持たない。
これは「は」が、「いくつかの中から何か一つを取り出して説明する」という働きを持っているからである。
他から取り出して(文法的には「取り立てる」)説明しようとするのであるから、せめて「は」は最初の1つにして、「私はインド人です。技術者です。ムンバイに住んでいます。27歳で、結婚しています」ぐらいにしてほしい。
「取り立てる」という働きは他の中から1つを取り出すのであるから、どうしても他の物事と比べる(文法的には「対比する」)気持ちが入る。
さっきの自己紹介の「私は」は、「あなたじゃなくて、彼らじゃなくて、私は」という気持ちが入るから、何度も聞かされると、聞き手は身を引いてしまうのである。
例えば、「あしたは行く」と言えば「今日は行かない」を、「肉が好き。でも、豚肉は食べない」と言えば、「豚肉は食べないが、牛肉やとり肉は食べる」を連想させる。
次の文の文から何が連想できるか、何と比べているか、下線部分を中心に考えてみてください。
(4)うちの子は大人しいと言われているが、うちではしゃべる。
(5)最近、息子は父親とはしゃべらなくなった。
(6)東京には住みたくない。
(7)黄色い線からは出ないでください。
参考までに連想・対比の例を示する。
(4)’外では(しゃべらない)
(5)’母親とは(しゃべる)
(6)’他の県は(大丈夫だ)
(7)’黄色い線の内側は(大丈夫だ)
冒頭の「帰りたいとは思いました」に戻ろう。
「帰りたいと思います」「帰りたいとは思います」両者の違いは何だろうか。
前者は話し手の帰りたいという気持ちの率直な表れであるが、「とは」と「は」が入ることによって、「そうは思うけど、でも」という何か他の気持ちが入る。
例えば、「帰りたいとは思うが、現地(ミャンマー)のことも心配で・・・」「帰りたいとは思うが、今後のことを考えると・・・」などである。
そういう場合日本語では、文を言い切ってしまわないで、「思いますが」「思いますけれど」のように続ける。または続けるような言い方をするのが普通である。