104)イチョウの街路樹

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 我が住宅団地にはいくつかの大きい道路があり、そこに街路樹が植えられている。けやき、ゆりのき、ハナミズキ、そして、イチョウだ。

 けやきは大きくなると葉が生い茂り、空を埋め尽くしてしまう。住民から文句が出るのであろう、可哀そうに、夏に入るころに短く、まるで丸坊主のように刈られてしまう。

 秋になってしばらくすると、生き残っていた枝がまずは水平になり、徐々に上斜めになってくる。11月末の今ごろでは、枝も上を向き、青い葉っぱを付けている。茂っているというほどではなく、品よく、遠慮しがちに緑をにぎわせている。

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 団地では、メイン通り沿いのイチョウ並木が、団地を突き抜けた形で並ぶ。道路が広くて日当たりがよいせいか、紅葉(黄葉と言いたいが...)になるのも早く、今の時期は葉っぱを落とし切った木も多く見られる。

 同じ高さに切りそろえられたイチョウであるが、色づくのが木によって異なる。隣同士に並んでいるのに、左側は色づくのも早く、散るのも早い。右側は、いつも左の木から何日か遅れて色づき、何日か遅れて散り始める。

 このイチョウ通りはゆるやかにカーブしているので、日の光の当たり具合が違うからかもしれない、と最初は考えた。しかし、日の光がほぼ同じように当たる隣同士でも異なっているのだから、日の光とばかりは言えないと思える。

イチョウの管理は市がやっているから、土壌、刈込み時期・方法、肥料などは同じはずだ。成長の仕方が異なるのは、一本一本の木の性質、成り立ちが異なるからであろうか。

 イチョウ並木は1キロメートルはある。イチョウの木すべてが、同じ造園会社の同じところで育った苗木ばかりとは言えない。いろいろなところから集められたものなので、成長の過程がずれるのであろうか。

 これは人間の場合にも当てはまる。同じ母体から生まれ、同じように育てられた兄弟姉妹も、一人一人は個性が大きく異なる。一卵双生児は驚くほど似ているけれど、やっぱりどこか違う場合が多い。

 

 イチョウの紅葉はきらきら輝いて美しい。春の桜通りもすばらしいが、紅葉したイチョウの通りはそれに劣らないくらい美しい。しかし、厄介な面もある。枯葉である。

街路樹のイチョウは雄の木ばかりが植えられていることが多く、団地のイチョウも銀杏(ギンナン)ができない。

 銀杏ができたほうがいいかどうかは人によって違うだろうが、イチョウが散らすおびただしい枯葉は、誰がそれを始末するかが悩ましい問題である。ご近所の人が掃除する場合もあるが、毎日降りしきる枯葉には追いつかず、そのまま放置している住民も多い。  

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 落葉の季節になると、1回か2回市が業者に頼んで落ち葉の掃除・回収をしてくれているようであるが、いかんせん回数が少ない。歩道を歩く住民は、日に日に汚れ、朽ち、茶色くなっていく枯葉の吹き溜まりを、眺めて暮らす。

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 しかし、不思議なもので何か月かすると、枯葉はどこかへ行ってしまう。風に吹かれて飛んでいくのであろうか。誰かが少しずつ始末し続けたのであろうか。

  いずれしろ、春になって気温が上がってくると、あのイチョウの木から緑の葉っぱが芽吹いてくる。