159)庭作り

 結婚当初は風呂なしの民間アパートに、しばらくして社宅に、そして、転勤に伴って茨城の地に小さな一戸建てを持った。マイホームは夫の勤務先からは約1時間半かかった。

 今でこそ職住接近が好まれているようだが、そのころは住まいのドーナツ化現象ともいうべきものあって、持ち家が勤務先から1時間半や2時間離れているのは当然の時代であった。

 我が家の30m平米余の庭には、入居する前から、垣根にカイズカイブキが、庭には芝生が敷かれていた。

 初めてのマイホームだったので、庭にはいろいろな木を植えたかった。自分の好きな木を全部植えたかった。30平米の庭の半分を石で囲って、したがって、15平米そこそこの場所に木々を植えることにした。

まず、桜。

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 丁度家が小学校の前だったのもあって、4月になって桜の花が咲けば、きれいだろうな、子供達も喜んでくれるだろうなと思った。

次に、夏ミカンと柿の木。 

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 実のなる木があったほうが楽しい。おかげで数年して、甘夏も柿の実も、多い時にはそれぞれ60個以上もなった。

次にタイサンボク。

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 あの背の高く、すらっと伸びる大木が私は好きだった。その時は、木がどんなに大きくなるか、そして、真っ白の花が庭からは見えず、2階からしか見えないことも、あとになって分かった。

あとは夏つばき(シャラ)、柚子、梅は紅白1本ずつ、秋には紅葉が楽しめるはずのモミジ、サルスベリ、茨城の庭師おすすめのモッコク、匂いのいい金木犀、そして、低木としてサツキ、秋真っ赤になるドウダンツツジなどなどを注文した。 

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 一体、何本植えてもらったのだろう。

 近くの植木屋さんにお願いして、庭の設計までしてもらった。若いお兄さんが来て、石の配置や木々の並びをあれこれ工夫してくれた。

 植木屋さんが植えてくれた木々はすべて幼木だったので、丈が低く、細く、木が多すぎるとは思わなかった。

 そして、30数年が経った・・・。

その30年の間に、全ての木がとてつもなく大きくなっていったのである・・・。

 

 桜は、幼木ながら、次の年から咲き始めた。そして、頭を悩ませたのは毛虫の発生であった。枝の上を這っていたり、道路に落ちたていりするのを見るたびに、背筋がぞっとした。年に2回は消毒に入ってもらったし、自分達自身も時々消毒していた。しかし、毛虫の勢いには勝てなかった。

 また、桜の枝がどんどん伸びて道路にはみ出すので、枝切りが大変であった。桜も可哀そうに、手足をもぎ取られ、いびつな、いじけた恰好になっていった。

仕方がないので、桜はそのあと数年して切ってしまった。

 

 甘夏の木も数年のうちに、なぜか実の数がだんだん減っていき、ついには実がならなくなった。隣にあったタイサンボクは近所に迷惑がかかるので、どんどん枝を刈り取り、今では短い幹と2、3本の短く切り取られた枝だけになってしまった。

夏ツバキも枯れた。今あるのは、小さい実が数個なる柿の木と、年に1個か2個、実がなる柚子の木と、紅梅は枯れて白梅の木、花の付きの悪いサルスベリなどが残っている。

 

 30数年経った今では何てバカなことをしたんだろうと、自分達の無知さ加減が分かる。一方で、庭師をはじめ植木店の人は、なぜ私達の無知をたしなめてくれなかったのだろうと思ったりもする。

 

「木はすぐ大きくなるから、少なめに植えたほうがいいですよ」と一言言ってくれたら、木の数を少なくして、溢れかえるような庭木にオタオタすることもなかったのに・・・。

 

 いやいや、木々について、庭木について、育て方について、真剣に考え、勉強しなかった自分達が一番いけなかったのである・・・。

 悔やまれる庭木育てであった。