101)朝ドラ「エール」

NHK朝ドラの「エール」が今週で終了した。朝ドラはいつも楽しみにしているが、「エール」も、その軽妙なドラマ運びにファンになってしまった。この一文は終了の2,3週間前にしたためたものであある。

 

 古関裕而を主人公にした朝ドラ「エール」を、毎日楽しみに見ている。 まず、裕而(ドラマでは祐一)を演じる窪田正孝氏は、軽妙で、時に深刻な演技で、我々を楽しませてくれる。

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妻の音(オト)は明るく前向きの女性だが、根は昔風の考え方の女性である。彼女は声楽を志しながらも、夫を立てて慎ましく家庭を守ろうとしている。 出産と子育てのために音はオーデイションに合格し、主役を勝ち取る。

 

いよいよ他の出演者も勢ぞろいして、舞台の稽古が始まる。 オーデイションを勝ち抜いた人達なので皆実力者で、その中で音の力不足が目立つようになる。

 音は家へ帰っても寸暇を惜しんで練習を重ねる。しかし、自分だけが力不足であるという劣等感と、皆に追いつかねばならぬという圧迫感で、どんどん追い込まれていく。

 

 そんな中、彼女は自分は実力で主役に選ばれたのではないことを知る。 オーデイションで二次審査までは実力で行ったが、「音が有名な作曲家の奥さんであること」、それによって「話題性ができる」ということで、他の候補者を差し置いて、音さんが主役に抜擢されたのであった 。

 

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  自分の実力不足を悟った音は、演出家に降板を申し出る。

 

「この舞台を降板させてください。無責任なことは分かっています。

 でも、力不足の私がこのまま続けることはかえって失礼なことです。

 申し訳ありません。」

 

 音が降板を申し出たことは夫、祐一の耳にも届いた。慌てふためき、音の翻意を必死に促そうとした祐一に、音は涙ながらに言う。

 

 「私、分かってしまったんです。私はここまでだっていうことが・・・。

  悔しいけど・・・・。」

 

 これは、あんなに主役に抜擢されたことを喜び、死に物狂いで練習に励んだ音が、自分の実力を知り、諦める瞬間のセリフであった。

 

 気がついたら私の目も涙でいっぱいになっていた。 人は自分が実力不足でも、何とかそれを乗り越えようと頑張るものである。 人は自分の力不足を認めたくない。しかし、もう本当に限界だと悟ったとき、人には何かが見えてくる。それは、自分自身の限界である。

 自分の限界を知ったとき、人は初めてこだわりを捨てることができる。 人間は奇妙なところがあって、劣等感や挫折感を持つ一方で、「自分にはできる」という、うぬぼれが付きまとう。うぬぼれというか、自信過剰のようなものである。人から見れば過剰な自信ではあるが、本人は「できる」と思い込んでいる。

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 しかし、その過剰な自信を壊すことはなかなか難しい。 人は、できないことが分かってきても、できると思ってしまう。できると思いたいのかもしれないが、自分が本当にその仕事に値するのか、やれる力があるのかを冷静に見定めることがなかなかできない。

 音も最初は、懸命に練習すればできると思っていた。しかし、あるとき自分の力が見えた。 「これ以上は無理」「ああ、もうできない」「限界だ」など、いろんな言い方があるが、音は、「ああ、私はここまでだ・・・」と悟ってしまったのだ。

 

 日本語に「(自分の)分(分(ブ・ブン)を知る)「分をわきまえる」という言い方がある。「分」は「身の丈」とも言い換えられる。

 音の「私はここまでだ」という気持ちは、音が自分自身の、歌手としての力の身の丈を知ったということなのだろう。 人は身の丈を知ったら、それ以後は静かに落ち着いて、自分や周りを見ることができる。自分の身の合ったところで、自分の力を出すことができる。それも、ぎりぎりに頑張ってやるのではなく、自由に、軽やかに、楽しく、伸び伸びと自分を発揮することができる。

 

 自分を過小評価したり、自信を失くすのはつらいことだが、自分をありのままに見られるということは重要なことであるのである。

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