93)父親と息子

先日、実在のオーストラリアの天才ピアニストを描いた「シャイン」という映画を見た。

息子は幼少期から音楽に対して鋭い反応を示し、深い感受性を見せた。小さいときからピアノが抜群にうまく、コンクールで何度も優勝し、天才と謳われた。

天才のその陰にはいつも父親の厳しい指導があった。父親は音楽に造詣が深く、息子のピアノも父親がすべてを取り仕切っていた。

息子の才能が知れ渡るようになると、いろいろの音楽学校からピアノ特待生として招くという招聘状が届いた。息子のピアノの訓練には狂信的にかかわりながら、父親は音楽学校からの招聘には消極的であった。父親は家庭を守るため、家族のきずなを守るため、子供が家から離れていくのを頑なに拒んだ。

息子は子供時代は父親に盲目的に従っていたが、思春期、青年期になるにつれて、あまりの父親の拘束に少しずつ疑問と閉塞感を持ち始めていた。

そんなときイギリスのロンドン音楽学校から招きがあった。父親の一方的な圧力や強制に居心地の悪さを感じ始めていた息子は、ロンドン音楽学校に留学したいと言った。しかし、父親は、留学は家族の結束を壊すことなので、息子が音楽学校へ留学することを強烈に拒んだ。その拒み方は異常とも思えるくらいであった。息子はその場ではそれ以上は父親に逆らわなかったが、次の日家を飛び出す形で、渡英した。

父親のいないロンドンの音楽学校で、息子はめきめきと実力を発揮し、天才とほめそやされた。

しかし、天才が天才であるための緊張感からか、また、今まで強いられてきた父親からの圧力的な教育のためか、才能を発揮しながら彼は少しずつ神経を傷めていった。ついには、精神を病んだ天才ピアニストとして生きていくわけだが、映画を見る限りは、精神異常の原因は、異常とまで言える父親の抑圧力だったと思わざるを得ないところがある。

 この映画で父親の存在が、また、父親の影響が、子供、特に息子にいかに影響を与えるかを見たような気がした。

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私の周りにも父親の厳しい性格の故、特に息子がゆがめられていくのを何人か見ている。

友人の夫は親分肌の人で、人との付き合いも広く、仕事も不動産関係や旅館業など幅広くやっていた。仕事が忙しいせいもあって、子育てにはほとんど関わらないできた。子供のことは妻を通して聞いていた。子供も大きくなってくると、何やかやとやらかす。母親は夜帰宅してきた夫に、息子の不祥事を報告するという形をとってきた。「息子が母親の言うことを聞かない、勉強をしない」というようなことを妻は逐一夫に報告し、単純な夫は、妻のためにもあると思うが、その都度息子を怒鳴りちらし、時には寒い冬空に息子を外へ放り出して鍵をかけてしまうこともあった。息子の不祥事は年齢とともに難しいものとなり、ある時は母親の財布からお金を盗むことがあった。妻からその話を聞いた父親は激怒し、積もっている雪の中に息子を埋めようとしたこともあった。

昼間は父親に滅多に会うことのない息子は、夜に怒鳴り散らし、暴力を振るう父親しか見てこなかった。息子の盗みは、いくら父親が制裁をしても止むことはなかった。息子はただ怒るだけの父に恐怖を抱き、性格をもっともっと暗くさせていった。                   

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                     次も友人の息子と父親の話であるが、元々細かいことが気になり、注意が多かった父親は、息子に対し非常に厳しく当たった。ゴミ箱にゴミを捨てるとき、ただはずみで外にこぼれただけなのに父親は怒鳴って注意をする。やるべきことが遅かった時も大声で怒鳴る。椅子に座っている姿勢が悪いことに対しても細かく注意する。下に妹ができてからは更に注意が激しくなり、妹が同じことをしても叱らないのに、息子がちょっとしただけで怒る。

息子は父親に対してはいつも無表情であった。言われたことはするが、仕方がないからやるという感じだ。父親の前では無気力なままである。中学から高校になると、息子は父親がいるとご飯をさっさと食べて、すーっと2階に上がってしまう。父親が帰ってくると、リビングからすーっといなくなる。高校になると、父親のことを「あの人」と言うようになった。

 映画「シャイン」の父親像を見て、また、いくつかの私の周辺の父親を見て、父親はその言動・態度で子供、特に息子に影響力を持ち、ついには息子を潰してしまうことがあるのが分かる。

こう見てくると、父親がどんな人であるかというのは非常に大切なことであるように思う。

父親は一方で仕事という重責を抱えながら、一方で良き家庭人であることを求められるわけであるが、未来の若者を育てるという意味で、父親のあり方や自己形成にはもっと世間の注目がなされ、光が当たるべきことなのではないかと思う。