55)愛犬エル

夫が薄茶色の子犬を拾ってきたのは、子供が中学生のころ、もうかれこれ30年以上も前になる。家の近くの自動販売機の下でうろうろしている子犬がいた。可愛いと思ったのか、かわいそうと思ったのか、夫はそのまま抱いて連れて帰ってきた。

我が家では夫も私も仕事で忙しかったし、ペットを飼えば誰が世話するのだという問題が起こるので、ペットについて話すこと自体がタブーであった。

夫は私の不機嫌そうな顔を見て、「元いたところに戻してくる」と言って立ち上がったが、そのとき私の心に魔が差した。

「連れて行く前にちょっと抱かせて」

子犬は私の腕の中にスポッと入るほどの小ささだった。ごく自然に私の腕に入ってきて、丸くなって眠ってしまった。

「あー、これはだめだ」と私は思った。赤子のように抱かれて眠っている、ふわっとしたこの感覚。私を頼り切っている小さい、小さい子犬。

一度は夫に子犬を手渡したものの、二度目に抱っこしてからは手放すことができなくなってしまっていた。

   

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ラブラドール系の雑種だったせいか、性格は大人しく、人に無駄吠えするということはなかった。

お隣さんのKさん宅に空き巣が入ったことがある。Kさん宅と我が家は、境い目に目の粗いフェンスがあるだけで庭と庭がつながっている。エルはその日もちゃんと我が家の庭にいたのだが、隣の庭に空き巣が立ち入っても、一度も吠えることはなかった。Kさんの話では、調べに来た警察官がエルを見て、「ああ、この犬なら、空き巣も仕事ができたわな」と言ったそうだ。

 

私達はペットの食事についてあまり知識がなかったので、最初は家族と同じものをエルに与えていた。肉や魚やラーメンや唐揚げなど。

近くの動物病院のD先生から「太りすぎだから、食事の量を減らしなさい」と言われた。

「食事は一日一回でよい、ドッグフードを規定量、それ以外はやってはいけない」

エルは外見的にも全然太っていなかったし、「なぜそんなに少なく?」と思ったが、従うよりほかはなかった。

しかし、食べ物を制限するということは、エル以上に私達のほうが難しかった。

晩ご飯のおかずが残った。エルの好きそうなものが入っている。でも、あげてはいけない。私はエルに食べさせたくて食べさせたくて、手が、体が震えたのを覚えている。

エルが19歳、人間でいえば90歳まで長生きしたのは、この食事制限のおかげなのだと思う。味の濃い、人間と同じ食事を続けていたら、もっと早死にしていたのだろうと思う。

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エルが我が家に居ついて何年目かの夏、午後から夕方にかけて雷が鳴り出した。夏の日だったのでガラス戸は開け放たれ、庭とリビングの間には網戸が1枚あるだけだった。雷が3度目に鳴ったとき、庭にいたエルが網戸を突き破ってリビングへ飛び込んできた。目も言わぬ速さであった。丸まった毛玉が飛び込んできたような感じだった。

犬の耳は人間の数倍良いと言われているが、エルはバリバリという雷の音がよほど怖かったのであろうか。

 

土曜、日曜の仕事休みの日には、夫はよく利根川べりにエルを連れて行った。歩くと家から30~40分かかる。エルは川べりが好きで、リードを外してやると、嬉しくてたまらないというように、川べりの近くを走り回った。走り回るのに慣れてくると、だんだん遠くまで足を延ばすようになった。

そんなある日、走り回っていたエルが、時間になっても私達のそばに戻ってこなかった。私達はそこいらじゅうを探し回ったが、エルはどこにもいなかった。夕方になるし、仕方がないので、私達はいったんは引き上げることにした。帰る道々も何度も振り返ったが、エルらしき姿はなかった。

次の日もエルは帰ってこなかった。次の日も。次の日も。

夫は車で利根川の川べりまでエルを探しに行ったが、エルの姿はなかった。

ほぼ諦めかけていた4か目の朝。新聞を取りに玄関に出てみると、家の門の前に少し汚れたエルが丸くなって眠っていた。

川べりへは車で行くことが多かったが、たまに歩いていくこともあった。エルはその道を覚えていたのだろうか。しかし、川べりに行くには、車が頻繁に通る国道を渡らなければならない。エルはどうやって国道を渡ったのだろう。走る車にクラクションを鳴らされながら、ふらふらと渡ってきたのだろうか。

                                            f:id:hattoritamo:20201102103642p:plain                                エルは2012年7月に亡くなった。19歳であった。人間の年にすると90歳を超える。死ぬ2年前ごろから少しずつエルの動作に異変が見られ始めた。我が家では庭の真ん中に金属の杭を打ち、犬用の鎖をつないでいたが、エルは杭の周りをぐるぐると何回も回ることが多くなった。杭に鎖を巻き付けて、鎖がどんどん短くなって身動きができなくなる。自分で元に戻ることができないので、そのままもがいているか、じっとしている。それを夫や私か家族の誰かが見つけて元に戻してやる。そういうことが何回も続いた。

夜泣きも始まった。あまり無駄吠えをしない犬ではあったが、夜中に狼が遠吠えするように、オーオーと鳴いた。誰かに助けを求めているような悲しげな鳴き声であった。静寂の中に響きわたるので、裏のお婆さんが切なくなるから鳴かせないでほしいと言ってくるぐらいだった。

しばらくすると、うしろ足が弱り始めた。一応は歩けるが、見るからによたよたしている。後ろ足がかなり細くなっている。

庭にいても、ごろりとなって寝ていることが多くなった。そして、そこらじゅうに排便をするようになった。そして、便の上にごろりと寝たり、足で踏みつけてしまうことが多くなった。

エルがどんどん弱っていくのが夫も私もわかっていたが、散歩にだけは連れて行くようにした。エルはよろよろと立ち上がり、ご主人様の命令に従って、よたよたと歩いた。

しかし、よたよた歩きの距離がだんだん短くなり、庭から家に出るまでの間にもへたばることが多くなった。

元々食べる量は少なかったが、少ない量のドッグフードも半分以上残すようになった。そして、ついにはほとんど食べなくなった。

動物病院に連れて行った。D先生は「うーん」と言った切り何も言わなかった。「一応元気をつける注射だけは打っとくけど・・・。」

先生の態度から夫も私も、エルは終わりに近づいているのだと悟った。それでも、最後の注射をしてもらえてよかったと思った。一日でも永く命が持つかもしれない。

家に着いてもエルはぐったりしたままだった。玄関にマットを敷いて、その上に寝させた。痩せてあばら骨があらわになった胸が、ぜーぜーと激しく上下に動いている。

「エル、水飲む?」

エルは朝から飲まず食わずだったので、せめて水でもと思い、エルの口の中に水を一口注いでやった。エルは寝転んだまま、その水をゴクンと飲んだ。ご主人様が飲ませてくれたのだから、無理をして飲んだという感じだった。

用事を済ませて玄関に来た夫が、「どうだ?」と聞いた。そのとき、エルが突然首をもたげた。そして、首を夫のほうに向け「ウォー」と叫んだ。まるで夫の声を聞いてそれに応えたかのようだった。思いがけずしっかりした声だった。

しかし、次の瞬間、エルは首をたれ、マットに伏せてしまった。そして、エルは逝ってしまった。それは一瞬のことだったが、私はエルが一番お世話になった夫に挨拶をして死んだのだと思った。

 

エルを飼っている19年間は結構忙しかった。最初は朝か夕方の一回だった散歩が、かわいそうだからと一日に2回になり、臭くなるからとしょっちゅう風呂場で洗ってやったり、病院へ連れて行ったり、雨の日も雪の日も休みがなかったから正直大変だった。しかし、エルからはたくさんの喜びをもらった。人間の心がよくわかっていて、失意に落ちているときはそばに来て、そっと寄り添ってくれた。エルにもたれかかっていると、いつまでもじっとそうさせてくれた。鍵を忘れて家に入れなくて、夫が会社から帰ってくるまで抱き合っていたこともあった。エルは嫌がらずにそばに寝そべって、私に暖をくれた。

エルがいなくなった寂しさは、ずっと今も続いている。しかし、それ以上に、エルがいた日々の喜び、楽しさ、温かさも心に残り続けている。