54)人は何のために生きる?

きのうの深夜便「明日へのことば」はゲストが「さだまさし」だった。少し軽いところがあるので批判的に見てしまうシンガーソングライターだが、「幸せとは何か」という質問に対する彼の答えはおもしろかった。

「幸せって人と比べることで感じるんですよね」

「幸せというのは、相対的で不安定なものなんですよ」

他人が病気になったり、破産したり、失恋したりする、つまり人の不幸せを見ると、人間は自分が幸せだと感じる。

「かわいそうに、あの人に比べて私は幸せだわ」

そして、彼は「幸せは自分が決めるものだ」とも言った。「相田みつを」も同じことを言っている。

「幸せはいつも自分の心が決める」

自分が文学賞に入選したとしても最優秀賞を狙っていた人にはそれは幸せではないし、賞と無縁だった人には入賞だけでも幸せである。

 

人間にはオキシトシンという、幸せホルモンがある。人と触れ合ったり、ハグすることでもオキシトシンは出るが、人に親切をほどこして喜ばれたり、何か人のために役に立ったと思う場合などもオキシトシンが出る。

私は大阪人の気質を持っているのかサービス精神が旺盛だと言われる。人に親切をして、誰かのお役に立てたと思えるときは無性にうれしい。幸せだと思う。

 

「何のために生きるか」(または「生きがいとは何か」)の答えは「幸せ」と結び付いている。

私はずっと人は何のために生きているのかを考えてきた。ある程度の年をとった今では、「生きてるだけで幸せ」「人間は生きているだけで意味がある」「生きてるだけで丸もうけ」という考え方を少しずつ受け入れることができるようになってきているが、しかし、やっぱり時々不安になる。本当に「存在する」だけで、生きる意義があるのだろうかと迷い始める。

人は、子供のために、親のために、誰か愛する人のために生きるとも言われる。愛しい人を思って、彼/彼女のためなら命を投げ出してもいいと思うこともあるだろう。しかし、やっぱり違う。それは一時的な感情であって、永遠不変のものではない。

自分を知るために、また、自分をより良き人間に築き上げるために一生をかけるのだと言う人もいる。

そうだとは思う。どんなに経験を積み重ねていても、ある日全く知らない自分に出会うこともあるし、自分が以前より良い人間になってきてうれしく思うときもある。

しかし、自分をより完ぺきな人間にするために人は生きているのであろうか?

 

自分の仕事や研究、科学、芸術を極めるために一生をかける人々もいる。あるオペラ歌手は自分の声を世界に響かせるために、自分の声や技術を磨くことが生きることだと言っていた。

自分が一生をかける仕事や研究、趣味や芸術を持てた人は幸せだと思う。そしてそれが高齢になっても追及できる人は運がいいとも言える。

私も日本語教育が天職だと思ってきた。特に授業で、若く柔軟な頭を持った学生達に接すると、しみじみ幸せだなあと思った。

しかし、仕事には限度がある。定年がある。人は病気もする、体も弱ってくる。そんなときにも人は何のために、何を生きがいに生きていけばいいのであろうか。

 

誰かがこんなことを書いていた。

「自然は美しい。季節ごとに姿を変えていく。その美しい自然を見るために人は生きているのだ」

自然は色々な姿を見せてくれる。春には種々様々の色や形の花を咲かせ、初夏から夏にかけては新緑を、そして木々に緑葉を茂らせる。秋には木々の葉を赤や黄に色づかせるものの、寒さとともにすべての葉を散らしてしまう。しかし、それで木々は死んだのではない。春になると、また新芽を吹き返す。どんなときでも、どんな場所にでも、あの、うすみどり色の新芽を吹き出す力がある。。

自然は毎年同じ姿を見せてくれる。今は4月下旬で、桜のかげに隠れていたハナミズキが一斉に咲き出した。アメリカから来たというハナミズキは地味な花だが、青空に突き出して咲く様はけなげで、花の白さがまぶしいほどだ。

他の木々たちも、ナラやコナラ、白カシ、カツラなども新芽が吹き出して美しい。

 

「人間は美しい自然を味わうために生きている・・・」

この文を読んだとき、私は肩の荷が下りたような気がした。いつもいつも何のために生きているのかを問いかけ、迷い、自分は人のために役立っているのだろうかと考え続けている。

しかし、人の生きる目的が自然を味わうためだったら、楽なものだ。自分を責めることもなく、自然に任せて、自然に抱かれて、眺め、味わい、感動すればいいのだ。

 

私にとって「人は何のために生きているのか」の答えはまだ出ていない。しかし、自然という不動のものに行き着いたときに、「そうかもしれない」という期待感と、ちょっとした安堵感を持てるようになった。

また自分の考えが変わるかもしれない。しかし、ここしばらくはこの考えで毎日を過ごしていこう。

ほら、パソコンの前にばかり座っていないで、太陽が輝いているうちに、外へ散歩に行こう。今日も何か新しい自然の変化に出くわすかもしれない。