(タイ続きで・・・)
タイで仕事とも留学ともつかないことをしているときに、一人の先輩から手紙が届いた。手紙には「建築家の友人にバンコクの寺を案内してやってほしい。」と書かれていた。そして、手紙の文末には「彼には奥さんがいるから、好きにならないように。」と付け加えてあった。
ごく親しい先輩であったので、そのような冗談を書いてくるのだと思ったが、年頃の私には胸ときめかないことではなかった。
幸いにその男性は自分のタイプではなかったので、適度の距離を置いて案内することができた。
さすが建築家だけあって、一つの寺を訪ねたとき、彼はこんなことを言った。
「この寺はのちに再建されたのではないかなあ。」
私がきょとんとしていると彼は続けた。
「この寺は門と本堂がずれている。門と本堂は通常はまっすぐにつながれて
いるものだが、この寺はずれている。」
彼はうろうろ歩き回り、きょろきょろ見渡して、「この寺はあとで本堂を移動させたに違いない。」と断言した。最初は門と本堂がまっすぐつながれていたものが、何かの事情で本堂を少し移動する必要が起こり、本堂が門をつなぐ直線からずれたと彼は主張する。
私は彼のてきぱきした動きや、静かで落ち着いた、しかし、歯切れのよい話し方にどこか深いものを感じた。やっぱり専門家なのだなあと感心する気持ちがあった。
彼とはそれだけのつながりであった。その後たぶん食事ぐらいはいっしょにしたのだろうが、なぜか記憶がない。
彼はそのままバンコクから日本へ帰っていった。
しばらくして先輩からお礼の手紙が来た。
そこには「彼の面倒をみてくれてありがとう。彼が、女性一人で頑張っておられ、たくましさを感じたと言っていたよ。」と書かれていた。
私は唇に笑みを浮かべた。
「そう、私は女っぽく振舞ったのではなく、たくましく振舞ったのだからね。
ご要望通りに・・・。」
恋心とは遠い、何でもない思い出だが、今もふと懐かしく思い出すタイでの
1ページではある。