240)南こうせつと「神田川」

         

 今日はシンガーソングライター「南こうせつさん」のエピソードの一部を紹介します。皆さんは、フォークソングの「神田川」を覚えていますか? 

 ワンコーラスをご紹介します。

 

神田川 作詞 喜多條忠(きたじょうまこと)  作曲 南こうせつ

 

貴方は もう忘れたかしら

赤い手拭い マフラーにして

2人で行った 横町の風呂屋

一緒に出ようねって 言ったのに

いつも私が 待たされた

洗い髪が 芯まで冷えて

小さい石鹸 カタカタ鳴った

貴方は私の 身体を抱いて

冷たいねって 言ったのよ

若かったあの頃 何も怖くなかった

ただ貴方のやさしさが 怖かった

 

   

 

  1970年、南こうせつさんはグループ「かぐや姫」を結成、デビューする。3年後に「神田川」がヒットした。

 しかし、1975年に「かぐや姫」を解散。今はソロでコンサート活動を続けている。

 こうせつさんは、古巣の国東半島に移住して40年。当時は大きな家を建てたが、今は家を建て替え、小さくして暮らしている。

 

 こうせつさんは大学時代から、オーディション番組に出たり、レコード会社とつながりを持とうとした。1年で大学に戻って、でも、ここで音楽をやめたくないと思って、「かぐや姫」を結成した。

 

           

 

 山田パンダという、当時ベース奏者の、すごいエンターテイナー、そして、後輩の伊勢正三という、そのころからすごく優れていた人材を得て、いいアルバムを作るために再結成した。

 

こうせつさんの話:

 「神田川」を作詞した喜多條忠さんは学生だったが、放送作家でもあったんですね。で、紹介してもらった時に、僕が部屋に入っていったら、すごい勢いで台本を書いている。僕は横から、「喜多條さん、歌詞は書かないんですか?」と聞いたら、「僕は書かない。」とパッと断られて、「でも、僕は自由詩は書く。」

 それに対して、「それ、いいですね。僕は字数が揃っていなくても、どんな詩でも曲付けられますから。」と、こうせつさんが大風呂敷を広げた。

 

           

 しかし、LP制作の話の締め切り日に喜多條さんが来ない。だめだなあ、これは・・・。誰か他の人に頼もうかって話していた。

 すると、夕方に電話がかかってきて、喜多條さんが「できた!」。

僕が「言って、メモするから。」って書き取ったんですが、それは、「あなたはもう忘れたかしら。赤い手ぬぐいマフラーにして」というような歌詞で、僕はアハハ、こりゃ何だって思いました。

まさか、これが私の人生を決めてしまうような曲になるとは思っていませんでした。」

 

 「神田川」は四畳半の歌と言われることが多い。男女間の小さな日常が描かれた、学生運動華やかなりし頃にひっそりと暮らす若い男女のストーリーである。

 「神田川」の歌詞で「どこが好きですか?」と問われると、「若かったあの頃 何も怖くなかった あなたのやさしさが怖かった」の部分を挙げる人が多い。私もそうで、この部分を聞いたり、歌ったりすると、今でも胸がキュンとする。作詞者の喜多條忠も一番苦労した部分であると言っていた。

 こうせつさんの話は続く。

 「「神田川」は自分達にとっては大きな曲だったし、「神田川」でお客さんが来るのだけど、70年代に(吉田)拓郎さん達と「つま恋」で朝までコンサートやったり、もっと体がリズムを感じ、もっと皆が叫ぶ。そういった曲へ体が行く時に、「神田川」は叫ぶって感じじゃないという感じもあった。

 当時は若いから、先へ進めて歌を作りたかった。それをコンサートで表現したかった。だから、コンサートでは「神田川」を歌わない時もあった。

 しかし、40過ぎてからかなあ。NHKの「ゆかいなオンステージ」という番組があって、そこでパーソナリティをやることになった。その時に、ハガキが来て、「あなたの「神田川」っていう歌に私は救われた。」というのがあった。別のハガキには、「「神田川」があったから、今の私達がある。ダンナと会って結婚して、貧しかったけど、今は幸せに楽しくやっている。」

        

 色んなエピソードを聞いて、「神田川」を歌わないと、この僕を支えてくれている人達に失礼に当たると感じました。それで、そこから、この歌はお宝なんだと思うようになり、それを屋根裏から出してきて、磨いて、歌うようになりました。」

 

 そういえば、ペギー葉山さんも「南国土佐をあとにして」が大ヒットした。どのコンサートでもそれを歌わされるので、嫌になって一時封印したという話を聞いたことがある。

          

 梓みちよさんも「こんにちは 赤ちゃん」が付いて回り、一時歌うのをやめたと聞いたことがある。

         

 

 南こうせつさんには、いくら嫌になっても、「神田川」を、どうぞずっと歌っていってほしいと思う。