160)ピアノを弾く漁師さん

 YOUTUBEでも動画が発信されているので、ご存じの方もいらっしゃるかと思うが、ピアノの上手な海苔漁師さんが話題になっている。「さんまさん」の番組で取り上げられたらしいが、ピアノとは何の縁もなかった1人の中年男性が、7年かけて見事ピアノの名演奏をするまでに至った話である。

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 彼は当時52歳であった。ある日、日本でも人気のあるピアニスト、フジコ・ヘミングさんの弾く名曲「カンパネラ」に魅せられ、自分でも弾いてみたいと思い立った。奥さんがピアノ教室の講師であったので、奥さんのピアノを借りて練習し始めた。

「カンパネラ」はイタリア語で「鐘」という意味である。超絶技巧で知られる、あのフランツ・リストが作曲した難曲で、しかし、誰もが一度は聞いたことのある名曲である。

 一方のフジコ・ヘミングさんは80代後半で、出生地はドイツ、父親がロシア系スウェーデン人、母親が日本人でピアニスト。フジコさんは日本とヨーロッパ、アメリカで活躍している。

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 日本人に人気があるので、何度も日本でコンサートを開いている。ふわふわとしたロングドレスに身を包んだ、栗色の長髪が美しい。体も、人柄も、演奏ぶりも、とびっきり大型のピアニストである。

 海苔漁師さんは独学でピアノを始めた。楽譜も読めない。インターネットからダウンロードした、「鍵盤が音に合わせて光る練習用アプリ」を用いて、毎日7時間、時にはそれ以上かけて練習した。

 彼の夢は、名曲「カンパネラ」が弾けるようになって、フジコ・ヘミングさんに聞いてもらうことであった。

 漁師さんなので、体格はしっかりしているし、指も丸っこく太い。指は、特別長いとは言えないが、鍵盤を広く使い、力強くたたくのにぴったりの感じだ。

 練習中の、漁師さんの「カンパネラ」の演奏を見た。素人の私には、まるでプロのピアニストのような指運びであり、リズム感であり、演奏ぶりであった。プロと比べて何の遜色もないように見えた。

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 そして、いよいよ、フジコ・ヘミングさんにその漁師さんの「カンパネラ」を聞いてもらう番組が始まった。会場にはグランドピアノが2台並べられ、彼は緊張しながらも、フジコ・ヘミングさんの前(正確には横)で「カンパネラ」を弾いた。

 あの丸っこい太い指が鍵盤を踊る。彼はあがることも、戸惑うこともなく、軽やかに弾いていく。

 いつものように見事な演奏であった。

 演奏が終わったとき、フジコ・ヘミングさんは、拍手をしながら「ブラボー」と言った。フジコ・ヘミングさんはあまり多くはコメントを言わなかったが、漁師さんの妙技に驚いていたし、感心していた。彼女はまず言った。

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「良い指をしている。演奏家の指をしている」

 

 そして、

 

「(あなたの)人間性が自然に出ている。海苔なんか作っていないで、ピアノ弾いてたら良かったのに」

 

 ピアノの具体的な演奏については、

 

「(この部分は)もっときれいな音で。(あなたのは)雑音が入っている」

 

 そう言って、フジコさんはその部分を自から弾いて見せた。素人にも分かる澄み切った音が出た。やっぱりフジコ・ヘミングさんぐらいになると、汚い音・きれいな音なんていうのが分かるのだと感心した。

 

 インターネットには、海苔漁師さんがフジコ・ヘミングさんのコンサートでの演奏を頼まれたと書いてあった。彼が実際に舞台に立ったかどうかは知らないが、彼の人生の一つの大きな節目になったにちがいない。

 人の人生って、頑張っていれば、どんなことで、いつ、どう変わるのか分からないという、すごいお話である。

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