79)空港での盗難

10数年前のことである。息子が企業留学ということでロスアンゼルスへ行くことになった。夫と私はその見送りに成田空港まで出かけていった。アメリカへ留学したいというのが息子の夢でもあったので、息子が空港から飛び立っていくのを私達は祝福した。

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やれやれこれで一段落着いたと、息子を見送ったあとレストランで昼食をとり、そのあとブラブラとお土産店を見物していた。さあ、そろそろ帰ろうかということになって、そのとき私は近くのお手洗いへ行った。

入ったところに広いめの鏡が備わった洗面所があり、その奥に左右4室ずつトイレ室が並んでいる。洗面所には何人かの女性がいた。しかし、私は気にも留めず、奥のトイレ室の一つに入った。

私は左肩にショルダーバッグをかけていた。「あーあ―終わった」と、朝早くからバタバタ動き回った時間を思い出しながら、ホッとした気持ちになった。肩から重いショルダーバッグを外し、便器のうしろに置いた。便器のうしろに棚があり、そこに物を置くようになっている。

物忘れをしやすい私はバッグなどをあまり手放さないようにしている。電車に乗っても必ず肩にかけたままか、横に置いても手でしっかり押さえている。

ところがそのときは何も考えなかった。息子を送り出したという安堵感と解放感で、ドンとバッグを棚に置いた。

用を足して、トイレ室を出た。手を洗いに洗面所のほうに向かった。これはあとになって思い出したのであるが、そのとき私を見ている小柄な若い、若いといっても40代ぐらいの女性がいた。可愛い感じの人で、私を笑顔で見ているというふうだった。日本人だったか外国人だったかはそのときは考えなかった。しかし、落ち着いて思い出してみると、日本人ではなくアジア系の女性で、私の全体を眺めている感じだった。彼女は私に笑顔をみせたまま、私が用を足したトイレ室のほうへ向かっていった。

私は手を洗って外へ出た。夫の待つ土産店の前へ行き、「お待たせ、ありがとう!」と言った。そのとき、バッグがないことに気がついたのだ。お手洗いを出てから2分ぐらい経っていただろうか。

「あ、バッグ・・・」

私は急いでお手洗いに駆け戻った。自分の入っていたトイレ室の前に立った。しかし、残念ながら人が入っていた。仕方ないので待つことにした。と、すぐにドアが開いて若い女性が出てきた。私はすぐにトイレ室に入って、便器のうしろの棚の上を見た。

すると、あったではないか。棚の上に私のバッグは置かれたままだった。

「あ~よかった!」

私はバッグを抱えて、夫のところに戻った。戻る途中で、財布は入っているのかなという疑問が浮かんだので、夫のもとに着く否やバッグを開けた。財布はあった。

「あ~よかった」

そして、財布を開けた・・・。

ない! 入れておいた現金14万円がなくなっている。私はカード類がどうなっているか調べた。クレジットカードや運転免許証はそのままちゃんとあった。現金だけがなくなっているのだ。

「足のつきやすいカード類は触らないで、現金だけを狙ったんだね。プロだよ、盗ったのはプロだよ」と夫が言った。

いつもは財布の中には3万円程度しか入れておかない。しかし、今日は息子の旅立ちで何かあるといけないと思って、お金を下ろし、万札を多めに入れておいたのだ。

 

夫の勧めで、空港警察に行った。係の警察官は丁寧に話を聞き、調書を作ってくれた。

「いや、このごろ置き引きや盗難が多いんですよ」と言っていた。

係の人は「何かわかったら、連絡します」と笑顔で言ったが、彼の表情や言動から、「残念だけれど、諦めたほうがいいよ」と彼が思っているということが見てとれた。

 

うっかりバッグを置き忘れた自分が一番悪いということは分かっている。分かっている中で思うのは、トイレ室で用を済ませたあと、洗面所で私の顔を見ていたあの女性のことだ。彼女はきっと、私が洗面所に入ってきたときから、目を付けていたにちがいない。人が好さそうで、物忘れしそうなおばさんを狙ったにちがいない。肩にバッグをかけていたのも見逃さなかったはずだ。私がトイレ室から出てくるのを待って、私の肩にバッグがないのを確認して、彼女は私が用を足したトイレ室へ向かったのだ。

私が駆け付けたときトイレ室にいた女性は、上品な感じのお嬢さんで、その振る舞いからバッグからお金を抜き取ったという感じはなかった。

絶対にあのアジア系の女性があやしい。

悔しい思いと、14万円への執着と、そして自分の馬鹿さ加減が何年か経った今も、歯がゆく思い出される。