78)裏のKさん

我が家の裏のお宅は高齢者の男性の一人住まいである。どこかの大学の先生だったようで、我々が引っ越してきた当初は、時々学生らしい若者達が訪ねてきていた。

しかし、何年も過ぎて、退職されたのであろうか、少しずつ訪問者も減り、Kさん自身が家を空けられることが多くなった。島根か鳥取かに実家があって、そこへ戻られているのだと近所の人から聞いたことがある。最近では年に2、3度しか戻ってこられない。

留守の間は1階は雨戸が閉まっているが、2階は雨戸は開け放たれ、ガラス戸越しに万年床の布団が見える。

家は閉め切ると、必ずと言っていいぐらいカビが生える。安全のために雨戸を締め切ったまま留守をしたことがあるが、2、3週間しかたっていないのに、畳に薄くカビが生えて、部屋中がカビ臭かったことがある。Kさんは生きる知恵のある人で、そのことを承知のうえ、年に数回しか帰らないのに、2階の雨戸を開け放っているのである。

Kさんが帰ってきたかどうかは、夜に電気の灯がつくかどうかでわかる。2階がこうこうと照らされているときは、我が家でも「Kさん、帰ってるよ」と噂する。

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Kさんは2、3日しか家にいない。まず、午前中作業着の格好で庭に出てくる、手には鎌を持ち、長く伸びた雑草を刈る。すごく速い手さばきで、さっ、さっ、さっと刈っていく。

ぼうぼうに伸びていた雑草は、みるみるうちに刈り取られていく。Kさんは雑草を根こそぎ刈るのではなく、10センチぐらい残して刈る。まるで、今度来るまでの分しか刈らないとでも言うように。

Kさんの庭にはみかんの木が2本ある。そう高くはなく、2メートルもない。そのみかんの木が、毎年毎年たわわに実をつけるのである。左側の木のほうがやや早く、右側の木は少し遅れて実をつける。みかんは日を追うごとに黄色くなり、色が深くなる。1本に50や60の実はなるだろう。

我が家の裏とKさんの裏は低いスチールの垣根で仕切られているだけで、我が家からちょっと手を伸ばせば、みかんに手が届く。

最初の2、3年はみかんの木を見守っていた。みかんが熟し始めると、鳥が来てついばんでいく。ムクドリの時もあるし、ヨシキリの時もある。そういえばカラスは来ない。

もったいないなあ、もったいないなあと思っているうちに、何日かが過ぎ、みかんの実は見事に食べ尽くされてしまう。木の下にはみかんの皮が散乱し、中には実が詰まったままのもある。           

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Kさん宅の両隣や我が家の両隣は、裏でつながっているから、誰かが何かを言ってもいいと思うが、誰も何も言わない。でも、みんな他の人の動静を伺っている、いや、伺っているように見える。

私はあまりにもったいないので、Kさんにみかんをいくらかで譲ってもらう提案をしようかとも考えた。でも、実行できないままでいる。そして、今年もみかんはたわわに実り、全部鳥に食べ尽くされてしまう。

もったいないという気持ちとは別に、毎年みかんを実らせるKさんの技術に敬服している。うちの夫は地方育ちだが、農業の経験がない。そのためか、今まで我が家に育った数少ない果実の木はすべて枯らしてしまった。

まず、柿の木。植木屋さんが良い木を選んでくれたせいか、最初の数年は柿がたくさんなった。

柿はすべて甘い。柿の実を間引きしないので、そのうち実がどんどん小さくなってしまったが、多いときには70個ぐらい収穫できた。柿の実はそのつややかな橙色が美しい。ふっくらと太って、深みのある橙色を輝かせている実は、秋にふさわしい。しかし、一方で、柿の木は葉っぱを茂らすので刈込が大変である。素人の夫は「どうせまたすぐ茂るのだから」と言って、柿の葉っぱを極端に短く刈ってしまった。それが数年前で、それからは、我が家の柿は夏に緑の小さな実を2、3個付けるが、大きくなれないまま、落ちてしまう。

2月ごろになると、甘夏(みかん)がなった。甘夏みかんの木は柿の木に比べて、太くて、まっすぐに高いところまで伸びる。最初は2、3個しかならなかったが、間もなく実がつくようになり、多い時では5、60個収穫することもあった。甘いというほどではないが、酸っぱくはないので、おいしく食べられた。でも、何年か前にやはり短く刈り込まれて、実がならなくなり、去年枯れてしまった。

あとゆずと梅がある。

ゆずは成長が遅く、木が実を付けるのに10年はかかっている。ゆずの木はとげがあるので、収穫が難しい。1度や2度は必ずとげに刺される。ゆずは毎年実がなることはなるのだが、数が少なく、我が家では1個とか2個しかならない。枝ばかり立派になって、その1個か2個を収穫するのに棘にさされて苦労をする。

梅は紅白の梅の木を一対植えたが、毎年アブラムシとカイガラムシに悩まされた。アブラムシが来ると、それを食べるカイガラムシが枝や幹にはびこる。びしっとこびり付く。気長な性格の夫は、毎年根気よくカイガラムシを退治していたが、梅の木の枝や幹がどんどん侵されていく。黒く曲がった、普通なら趣のある梅の枝だが、カイガラムシのためにカビが生えたような、だんだら模様になる。

白梅のほうは何年か前に枯れてしまったが、紅梅のほうは今も生き続けていて、毎年2、3センチの小さめの実を成らす。ダメかと思っていた今年は約20個弱の実がなった。夫はそれが嬉しくて、スーパーで梅の実を買い足して、梅干し作りをする。そのうちの数個に角砂糖を入れて、私のために梅ジュースを作ってくれたりもする。ほんの少しの梅干しや梅ジュースのためにかなりのお金がかかる。コストパフォーマンスから言えば、まったく採算のとれない作業である。

 

自分の家の下手な農作業(?)のことを長々書いたが、ずっと家にいる我々に比べて、年に2、3度しか戻ってこないKさんは立派だ。毎年たわわにみかんをならせるているではないか。

たぶんKさんは作物の育て方のコツを知っておられるのだろう。もしかしたら、実家が農業で、作物を育てる基礎を都会に出てくる前に身に付けておられたのかもしれないと拝察している。

年に数回ぱっと来て、ぱっぱっぱっと草を刈り、みかんに肥料をやり、剪定をしていかれるのだろう。私は実際に見たことがないが、人に見せない早業でやるところも、Kさんらしい、本当の意味での農業のコツを知っている人なのだろう。

我が家から見たら、本当に羨ましいことこの上もないご老人である。

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