76)レジ袋有料化

2020年7月1日よりレジ袋の有料化が全国一斉に始まった。ビニール袋の利用を抑え、プラスチックごみを削減するという政府の方針である。コンビニ、スーパー、デパートなどすべての店で無料のレジ袋がなくなった。

きのうスーパーへ行ったとき、若者が花柄のマイバッグを手にしているのを見かけた。ちょっと違和感を感じたけれど、「うん、なかなかかわいい!」とも思えた。

マイバッグを忘れたり、買ったものが多くてマイバッグに入り切らなかったりしたときは、店でレジ袋を売ってくれる。大きさや袋の材質によって値段の幅はあるようだが、普通の大きさで3円で売っているところが多い。

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今までも、買い物の時はレジ袋をもらわない、自分で袋を用意する人もいた。店によっては「袋ありますか?」とか、「袋お持ちですか」などと聞いてくれるところもあったたが、コンビニではそのように聞くことはなく、当然のようにコンビニの袋に詰めてくれた。

それが全部なくなる。コンビニの店員も知らん顔をして客が袋を出してくるのを待っている。

私は最初は戸惑った。だってマイバッグを忘れることもあるでしょう? 店に行く予定がなくて、でも何かのついでに立ち寄ることもあるでしょう?

そう、そのときのために店では1枚3円で売ってくれる。1枚3円だから、客の負担にはほとんどならない、ならないはずである。

ところが、この3円が出せない。おしいのか、もったいないのか。たいていの客は、マイバッグがなくても、手持ちのハンドバッグなどに詰めるか、または手で持って帰ろうとする。3円は出したくない。

この心理は何なのだろう。

人は同じ商品でも、こちらのほうが質がいいなとか、自分に合うなと思ったときには、500円1000円違っても高いほうを買うことがある。その500円、1000円はおしくない。なのに、レジ袋の3円はおしい。

夫も同じようなことを思っていたらしいので、あながち私一人の心理ではないようだ。人は納得したり、賛同したりした場合は、金額はあまり気にしないのかもしれない。では、レジ袋3円を客は賛同、納得していないのであろうか?

たぶん今まであまりに長い間、「レジ袋は「ただ」」という習慣が身に付いてしまって、3円を払うことに抵抗があるのかもしれない。レジ袋有料化が定着して、当然の習慣になったときは、人は3円を抵抗なく支払うのだろうか。

こんなことを考えるときがある。

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日本人は野球が好きだ。例えば東京ドームに観戦に来る人は、高い入場料(入場料は幅があって約1万円~約1千円)を払ってくる人たちだから、そう貧しい人はいないと思うが、その人達に入口で10円寄付してもらうことを頼んだとき、全員の人が快く応じてくれるだろうか。

答えは否である。金額は10円なのであるが、多くの人が文句を言うであろう。しかし、10円徴収の理由を丁寧に話して、たとえば熊本災害被害への支援などと謳って、災害に遭った人々の復興のためだと丁寧に説明すれば、10円を出す人は大幅に増えるであろう。全員の客が納得すれば、全員から10円を寄付していただくことも不可能ではないはずだ。

つまり、納得し、賛同するということがお金を出すための基本的な条件になるのである。

東京ドームは収容人数が55000人であるから、満員のときは、55000人×10円で55万円。いくつかの野球場で同じことをすれば、1日で何百万円というお金が集まる。集中月間を作って、1か月間毎日10円集めれば、きっと何千万という金額になる。10円なら観客にも負担にならないし、彼らが10円徴収の目的・意義を納得すれば、それが困った人への救済になる。

レジ袋に話を戻して、人は今まで「だだ」だったレジ袋に3円を出すのはおしい。3円を節約するために、せっせとマイバッグを持参する。しかし、少々高価なレストランでの食事や、高級食材の購入や、プチ贅沢はやめない。

納得・賛同するということは、そこに価値を認めるということだ。

やはり人間は自分にとって、また、社会にとって、それに価値があれば犠牲が払えるが、そうでない限りはなかなか犠牲が払えないということになろう。

 

以上、レジ袋有料化に際しての、私の、小さな雑感である。