258)着物の着付け教室

 NHKラジオ放送「文芸館」で、藤岡陽子作『遺言』を聞いた。小さな作品であるが、私の姉が着物の着付け師であることもあって、興味深く聞いた。テーマが「着物」であるせいか、しみじみと胸に沁みるものがあった。

 以下は、藤岡作品のあらすじをまとめさせてただいたものである。

 

            藤岡陽子さん

 

 倉島さんは、たまたま見た「市民だより」の着付け教室に参加する。期間は10日間。午後4時から2時間の講習であった。

 

         

 

 講習では女性の着付けを習うことになっていたが、なぜかそこに老年男性の倉島さんの姿があった。先生も男性が混じっていることに戸惑い、倉島さんにそれとなく言う。

 

 しかし、倉島さんは一途に講習を受け続けた。その態度は謙虚で、一生懸命であったので、いつのまにか彼は、受講生の一人として皆に受け入れられていった。

 太鼓帯を結ぶ場面でも、男性の彼の結び方はしっかりしていたし、彼が家から持ち寄った太鼓帯は品の良さで人目を引いた。

 帯の柄は紺色の地に水玉がちりばめられたもので、それは夏に降る雪の柄であり、夏に締める帯としては粋なものであった。

 

        

 

 「倉島さんの後ろ姿からは、かつてあった日本人の美しさを感じますね」

と先生が言うと、倉島さんは口をつぐんだまま恥ずかしそうに下を向いた。

 

 講習の終わりが来た。仲間が記念の写真を撮った。それはみんなの記念になった。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 真美が、倉島さんが亡くなったという知らせを受けたのは、講習が終わって2年後であった。

 倉島さんの葬儀は円上院という寺で行われた。都合の付く旧メンバーが葬儀に参加した。

 棺に納められた倉島さんは2年前と何ら変わることなく、頬に入れられた綿のせいか、ふっくらしていた。

 

         イラスト寺葬儀 に対する画像結果

 

 私達は示し合わせたわけではないのに、全員着物を着て、お太鼓を上手に結んでいた。「講習が終わったら皆で着物姿で会おう」という約束は立ち消えになっていたが、倉島さんの葬儀で果たされることになった。

 倉島さんへの思いが、生きている私達をもう一度つなげてくれたのだ。

 

 みんながそれぞれに倉島さんに語りかけ、最後のお別れにつなげていく。10日間という短い期間だったが、倉島さんはみんなに何かを残していった。

 

 皆がつぶやく、「倉島さんが女性の着付け教室に参加したのは謎でしたねえ」と。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 皆には話していなかったが、講習会の終わったあと、真美は倉島さんに二度会っている。

 一回目は、自宅の近くで出会った。倉島さんは彼と同い年ぐらいの女性を連れていた。かなりきつい勾配の坂を倉島さん達は下り、私は上っていた。彼らの歩みは遅く、一歩歩いては止まり、また一歩歩いては止まる。なかなか前に進まない。

何度呼んでも気がついてくれなかったが、すれ違う時にもう一度呼ぶと、ゆっくりした動作でこちらを振り返った。

 

          イラスト散歩男女着物 に対する画像結果

 

 そして倉島さんは、

「これはこれは、お久しぶりでございます。ええと、たしか・・・」

「斉藤です。着付け教室でお世話になりました。斉藤真美です」

 

 隣にいる女性が奥さんだということはすぐに分かった。倉島さんの手が腰に据えられ、腕が添えられていた。そして女性は何よりも白地の帷子(かたびら)を美しく着こなしていた。帯はあの、紺地に白地の水玉のもので、夏の日差しの中で、彼女は透き通るように立っていた。

 が、彼女はさっきからまっすぐな目で別の方向を見ており、こっちに向き合おうとはしない。

倉島さんは、「妻はもう多くのことを理解しないのです」とつぶやいた。  

 彼女のうるんだ目は、現実とは違うどこか遠い世界を見ているように思えた。

 

         イラスト女性着物後ろ姿 に対する画像結果

 

「倉島さん、奥さんのために講習に来られてたんですか?」

 

ふだんなら不躾な質問などしないが、高揚感からか、そんな質問をしてしまった。

 

「ええ、お恥ずかしいですが、おっしゃる通りです。この人は着物を着ている時が一番いいのです。

 ずっと着物で暮らしてきた人ですから、せめて、これだけは、これまで通りにと思いまして・・・」

 

 そして、倉島は「有難うございます。今から病院へ行くのです」と言った。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 それからしばらくして、倉島さんが真美のマンションを尋ねた。風呂敷包みを抱えている。

 

「わざわざ私の家に来てくださったのですか?」

と真美。

「妻はこの度、施設に入所することになりました」

 

 風呂敷包みの中には、紺地の帯が小さくたたんであった。夏に雪を降らしたあの帯であった。

 

「施設では着物を着ることはありませんから。斉藤さんがほめてくださったから」

「さみしくなりますね」

「いえいえ、少しはさみしくなるでしょうが、どこにいても変わらないものですよ」

 

 倉島さんは誰かといっしょに暮らすことが似合っている。

 

 翌年真美は、「奥様も亡くなられたそうだよ、今年の春」と聞いた。真美は、いただいた帯を倉島さんの棺に置いた。

 

 着付け教室みんなの倉島さんへの最後の言葉は「さようなら」ではなく、「ありがとう」だった。

 

        



257)★日本語(文法)ものがたり26★「指示語こ・そ・あ」と「その世」


           

 

皆さん、こんにちは。

 突然ですが、次の会話1~3に出てくる「これ(このりんご)」「それ(そのりんご)」「あれ(あのりんご)」は今どこにあるか考えてください。

話し手の女の子の名前は「スミレさん」、男の名前は「壮太君」です。

 

 1.これ(このりんご)はおいしいよ。

          

 2.それ(そのりんご)はおいしい?

         

 3.あれ(あのりんご)はおいしいかしら?

 

       

 

 1では、「りんご」は話し手の「すみれちゃん」が持っています。

2で「りんご」は「すみれちゃん」の手を離れ、聞き手の「壮太君」に移っています。3では、「りんご」は「すみれちゃん」「壮太君」両方の手を離れ、2人から遠いところにあります。

 

 この「これ・それ・あれ」「この~・その~・あの~」などは、文法では指示語・指示詞とか、「こ・そ・あ」と呼ばれ、「物・人・こと」を指し示す働きがあります。

 

「こ・そ・あ」は、基本的には、そのものが話し手側に属する(話し手の領域にある)か、聞き手側に属する(聞き手の領域にある)か、両方から離れているかによって、使い分けられます。

         

 

 では、ちょっと話が変わりますが、皆さん、「この世」「その世」「あの世」はどうですか。

 

 はい、そうです。今皆さんが住んでいる「この世」、そして、ご先祖様が住んでいる「あの世」です。           

 

          


 皆さんは「この世・あの世」は聞いたことはあるが、「その世」は聞いたことがない、「その世」なんて言葉はないと思われるのではありませんか?

「この世」は我々(話し手)が住んでいる、我々の領域にある世界、「あの世」は話し手からも聞き手からも遠い世界、例えば「死の世界」になりますね。

では、「その世」とは?

 

ところが、詩人谷川俊太郎が次のような詩を作っているのです。

彼は詩の中で「その世」という言葉を用い、それが小さな議論を引き起こしているようです。(『その世とこの世』2023/11/23 谷川俊太郎ブレイディみかこ (対談・共著))

          

 

ひとまず谷川氏の詩を紹介します。

 

   その世

この世とあの世のあわいに 

その世はある

騒々しいこの世と違って

その世は静かだが

 

あの世の沈黙に

与していない

風音や波音

雨音や密かな睦言(むつごと)

 

そして音楽が

この星の大気に恵まれて

耳を受胎し

その世を統(す)べている

 

とどまることができない 

その世の束の間に

人はこの世を忘れ

知らないあの世を懐かしむ

 

この世の記憶が

木霊(こだま)のようにかすかに残るそこで

ヒトは見ない触らない ただ

聴くだけ

 

 対談相手のブレイディみかこさんは、「その世」をsomewhere betweenと訳しています。今住んでいる「この世」ではなく、また人が死んだら行く「あの世」でもない、「この世」と「あの世」の間に「その世」があると谷川さんは考えているようです。

 「その世」はどこにあるのか?「その世」は簡単には説明できないけれども、「詩」がいる場所は「その世」だという。

 

 歎異抄の「浄土」というのはどこを指すか?「この世」でも「あの世」でもない世。「この世」と「あの世」の中間にある想像の世界・・・。

 

         

 非常に難しくて、私には説明ができないのですが、「詩の世界」「想像の世界」「空想の世界」「夢の世界」とでも言えばいいのでしょうか。

 

 では、「何かに夢中になっている世界」「自分を忘れている世界」も「その世」になるのでしょうか?

 

 日本語としては「指示語こ・そ・あ」を使った「その世」という言葉は使われないけれど、しかし、詩人は「その世」があると考えている。そんなところに興味を持って、今回「日本語ものがたり」に取り上げた次第です。

256)小百合さんと山田洋次監督

 「男はつらいよ」「幸福の白いハンカチ」を世に送り出した日本映画の巨匠、山田洋次監督。そして、「最後のスター」と呼ばれ、主演のみを受け続ける映画俳優、吉永小百合さん。92歳と78歳。映画製作の舞台裏をカメラ(2023年9月27日(水)放映)は記録してきた。

 

 NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」が放映されるのを知った時、「山田洋次監督と吉永小百合さんなんて、見なくてもいいわ。大体分かるし・・・」と私は思った。年寄りの頑固そうな山田洋次監督の言うことは大体分かっていたし、健康優良児の小百合さんには女優としての神秘さがないから、あまり見たいと思わなかった。

 

        

 

 しかし、90分のドキュメンタリーを見終わった時、「やっぱり、さすがだなあ」と思った。2人が紡いできた仕事に対する姿勢が一貫し、信念に貫かれていて、そこから来る味わいが番組には溢れていた。

 よぼよぼしながら、時に咳き込み、それで撮影が中断される。

 あそこまでやることないのになあと思わせる一方で、山田監督の細かい、一挙手一投足に対する注文や手厳しい指示は、ひとつひとつが説得力のあるものであった。

 故障を修理する電気屋さんの寺尾聡の、目の位置、視線、向き、向け方など何度も何度も指示する。

「もっと目を上げて」「もっとその物に集中して」「もう一回、もう一回」

 あんなに注文をつけられると、俳優さんも嫌になるんじゃないかと思えるぐらい、山田監督はやり直しをさせる。

 

        

 

 監督が要求しているものは詰まるところ「自然さ」なのだった。電気屋さんの目線、修理への集中度、目の動き、熱心さなどを、山田監督は、電気屋さんが自然に普通にやるように、寺尾さんにやってほしいのだ。

 小百合さんに対しても、「だめだだめだ、小百合さん、それは違うでしょう!」「もう一回、もう一回!」と厳しく注文をつける。

 足袋職人の女房役で、心に思う人の足袋をミシンで縫うシーンでも、3回も4回も撮り直しをさせていた。小百合さんはピクリとも姿勢を崩さず、同じ姿勢で同じ表情で、演技を繰り返す。ただただ、監督がOKを出すまで何度も何度も繰り返す。

 

         

 

 山田監督はともかく自然な演技を重視する。「自然」と「リアル」とは違うのだそうだ。

 いい映画作りを目指して、ただただ、いい映画を作る。自然体を目指す。

「全力を尽くして、そして、あーお腹が空いた!」と言えれば、それでいいのだと言う。

 

 山田監督と、助監督のような人とがそばで話していた。

 

吉永さんは「おばあさん」に向いていない。「ガタイ」がしっかりし過ぎている。おばあちゃんではない。宮本信子だったら、すぐにおばあちゃんになれる、というようなことを話していた。つまり、吉永さんは体が若くて、体の線が年寄り向けではないと言う。もっと年寄りっぽければ、今度の祖母役も苦労しなかっただろうにというようなことを言っている。

 吉永さんは毎日水泳をして体を鍛えているし、元々が若々しい体作りを心がけている人だ。そういえば78歳でも腰も曲がっていないし、姿勢はいいし、はつらつとしている。

 顔も若々しい。手入れの行き届いた肌は50歳台と言ってもいいだろう。吉永さんは陰のような、憂いのようなものがあまりない女優さんで、言ってみれば、健康優良児の女優さんだ。老け役を演じる時には、それがかえって邪魔になると言うのだろうか?

 

          


  山田監督が目指す目標は「自然」だ。「自然体」「自然的」「自然さ」だ。一方、小百合さんが目指す俳優像は「透明感」だそうだ。演じるのではなくて、自然にその人柄が出る、自然にその役柄の味わいが出る。作為が感じられない、まるで、透明のように演技し、振る舞い、役になり切る。

 「透明感」とはやはり「自然」ということにつながるのだろうか。

 

 山田監督の映画に対する情熱は、渥美清の「寅さん」で一貫して感じられた。もし、何でも注文をつけていいと言うなら、私は、自分の身体を賭してまで第一線で頑張るのではなく、92歳になった今は、後継者に仕事を任せていくことも大切なのではないかと思う。山田監督の意を汲む後継者は何人か育っているであろうし、そういう人達をより育てながら、どんどん任せていくというのも大御所の役目ではないかと思っている。

 吉永さんも引退する時期を考えているみたいだが、やめ時などを考えないで、小百合さんらしくはつらつとした、健康的なおばあちゃんの役をどんどんやっていけばいい。そして、世の中を明るくし、人々を元気づけてほしい。別に、「透明感」に溢れて、「自然」な演技ばかり目指さなくても、もっと自分のありのままを出して、若々しい年寄りで、生活力のある、言いたいことを言う存在になればいいと思う。

255)料理言葉はあいまいか?

 

         


 これは先日友人のマンションへ行った時のことである。

 

 友人は交通事故で入院していたが、1か月ほど前に退院し、家に戻ってきている。右足の骨折のため、まだ独力で立ち上がることができない。毎日の料理を作ることができず、ご主人が奥さんに教えてもらいながら、ぽちぽちと毎日作っているという。

 ご主人、S先生は定年年齢はとうに過ぎていたが、研究を続けるということで、まだ大学に勤めていた。ガチガチの理系の教授である。

 その日は日曜日で、S先生も在宅しておられた。

         

 

 20畳ほどの居間の延長上に台所がある。S先生が日本茶を入れてくれた。お茶を入れながら、S先生が私に話しかけた。

 

「〇〇さん、料理の本は難しいですね。あんな難しいものはないですね」

 

 私は最初、S先生が何を言おうとしているのかがつかめなかった。

 

「「塩、少々」って書いてあるけど、「少々」ってどのくらいなのですか?」

 

         

「「さっとゆでる」の「さっと」はどの程度ゆでるのですか?」

「「たっぷりゆでる」の「たっぷり」は何分?」

「「小さめに切る」の「小さめ」って何センチぐらいの大きさですか?」

 

「ああ、本当に料理の本は難しい。あんなに難しいものはないですよ」

 

         

 

 奥さんが病気になってはじめて料理を始めたS先生は、まったく新米の料理人である。偉い先生であったので、家でも外でも料理や家事をすることはほとんどなかった。家事は、専業主婦の友人が一手に引き受けていた。

 そんな中での、ご主人の素朴な疑問なのであろう。

 

 料理を長くやっている主婦は、計量器で水何カップ、スプーンで醤油何ccなどと測ることはだんだん少なくなる。ねぎを切るのに物差しで、何センチと測るようなことはしない。もちろんレシピ通りに正確に測ったりしたほうがおいしくできる場合も多いが、主婦の多くは大まかに、経験と勘で味付けをすることが多い。経験と勘で「少々」が大体どのくらいで、「さっと」がどのような感じなのかが分かる。

       

 S先生のような理系の人間の頭の中は、友人や私のような文系の頭の中とは正反対にできているにちがいない。

 

 話は変わるが、私自身の息子も大学で地球物理学を学んだ理系の人間であった。

息子が大学に入学してアパートに引っ越した時、確か電話だったと思うが、アパートのことを知りたくて私が尋ねたことがある。

 

「アパートから駅までどのくらいかかるの?」

 

 それに対して息子はなかなか返事ができなかった。

       

 私は簡単に、「だいたい歩いて〇〇分くらい」程度の答えを期待していたのだが、息子は答えない。しばらくして息子は、「うーん、分からない」と言った。私は息子が返事をするのが面倒くさいのだと思った。

 しかし、息子は次のようなことを言った。

 

「きちんと測ったことないから、分からない。・・・ 930メートルぐらいかなあ」

 

 私は唖然とした。私はそんなに正確な答えを期待していなかった。アバウトに大体の距離を言ってくれればいいと思っていた。距離でなくても大体の所要時間を言ってくれればいいと思っていた。

 私はそのとき悟った。理系の息子は「アバウトに言う」ということができないのだ。

 

 S先生に言わせれば、アバウトな表現に満ち溢れた、分かりにくい典型が料理本というわけだ。

 

「一口大」の「一口」ってどのくらいの大きさ?

「五分ほどゆでる」の「ほど」は?

       

「食べやすい大さに乱切りする」の「食べやすい」ってどのくらい?

「小さめの乱切りにする」の「小さめ」、「余分な脂や皮を切り落とし」の「余分な」、「鶏肉をさっと炒めて」の「さっと」などなど、理系の人間にとっては料理本はあいまい表現だらけである。

 

     

 料理本があいまいだらけだということを教えてくださったのは、S先生だ。そういえば、テレビの料理番組でもアバウトな表現に満ち満ちている。

 

 時々理系の男性って本当に難しいと思うことがある。S先生は非常に興味深いことを教えてくださったけれど、私は理系の男性の細かさに、本当に面倒くさいと思うことがある。

 

 

254)腎臓病との闘い

 これは、NHK明日へのことば「腎臓病と闘う」(片岡浩史 1923/10/15(日)放送)を基にしています。

 

          

 

 片岡浩史さんは、京都大学卒業後、JR西日本駅の改札業務や車掌を3年間経験。そのあとで、医学の道に進む。現在は東京女子医科大学腎臓内科医師。「腎臓ガイドライン作成委員」でもある。

 片岡医師の、腎臓病に対する、また、病気や患者に対する考え方をご紹介します。

       

       

 

 腎臓とはおしっこを作る臓器で、体にとって悪いもの(例えば「毒」)を、腎臓の中の水分に溶かして外に出す役割を担う。腎臓の働きが弱ってくると、人工透析に頼らざるを得ない。(「腎臓透析」、または単に「透析」という。腎不全を患った患者が尿毒症になるのを防ぐために、外的な手段で血液の「老廃物除去」「電解質維持」「水分量維持」をおこなう必要がある。その外的な手段を言う。)

 

 まず、70~80歳に起こってくる病気は、50~60歳から作っているということを伝えたい。

 腎臓病は肥満だけで起こるわけじゃないが、肥満は自分で治せる。もともと20代の時に平均からずれていくというのは、何かが体に起きていると思っていただきたい。

 肥満の人は、痩せると、ほんとに結果が良くなるんですね。まずはやっていただいて、継続するところでまた応援するという、私なんかは医者なんで応援団でいいと思っているんです。

 

           

 

アナウンサー:肥満と腎臓病という論文をお書きなんですね。

片岡:そうですね。肥満の人と肥満じゃない人で、つまり属性ですね、属性で医療を変えるとか、属性に基づく医療というのは、私は今いつも言っているんです。

  医学というのは、もともとは理想を追求する科学なので、みんなの共通の医療を確立するというのがあったんですね。だから、男性と女性で、また、若者と高齢者とかで医療を変えるというのはなかったんですね。

 私は大雑把に人を区分して4等分に区分するのがいいと言っているんです。

男性と女性と、あと年齢をかけた場合、50歳以上の女性と、50歳以下の男性と。

たとえば、全く若い男性と高齢者の女性とでは、体格も違うし、持ってる病気も違ってくる。一人一人が持っていたり、属しているカテゴリーに合わせて医療したいなあと思っているんです。

 究極的には個別改良というのがあるんですが、ますは、4等分ぐらいすることによって、ものを見立てていって、正確さも担保するような科学が進んでいけばいいかと思って、属性による医療を今一生懸命、世界に向けても言っているところなんです。近々そういう時代が来るんじゃないかと思っています。

アナ:それが片岡さんの今一番の研究テーマの一つなんですね。

片岡: 私は一人一人に合わせた、属性に合わせた科学というものを作ってほしいというメッセージを送っています。

 肥満は生活習慣なんですが、それが肥満として現れる。偏ってくると、平均からズレるというのが何かのシグナルだと思っていただいて、肥満のある人は、ちょっと痩せようと、テレビで行っているようなダイエットをちょっとやってみていただければ、将来何かいいことがあるんじゃないかと・・・。

 見た目というのは分かりやすいものなので、そこで意識してやっていただければいいんじゃないかと思っています。あとは、細かい病気に関しては医者に任していただくと。

アナ:患者さんに、元気になる、自信が持てるような言葉、考え方がありますか?

片岡:腎臓の患者さんには「あなたは余命が短くなります」と宣言するわけですが、しかし、それは本人にはショックだし、不安しか残さないので、「だからこそ余命を伸ばすために生活を変えましょう」と言う。そして、痩せたらいっしょに喜ぶ。

 痩せるって作業は大変なわけです。食べない作業をするというのは、なかなかできないことなのですが、痩せると検査結果が良くなるんです。

 検査結果を見ていっしょに喜ぶ。そういう作業を医療の現場でなるべくしていく。

余命が短くなる恐ろしい話ですから、それを一人で抱えるのではなくて、医者だったり、看護士さん、栄養士とか、みんなでチームを組んで、痩せるプランを考えるっていうのを考えています。

 

         

 

 感染症は治す直さないなんですけど、腎臓病は腎臓がつぶれてきた、それは何年も、10年20年もかけて、長いことかけて、それに対する流れを止めるという作業なのです。

  患者さんが自分はこんな仕事しているから止められない、できないと言ったら、医者は「そうかな」と言いながら、人それぞれぞれの目標値を変えながら行くわけです。

できる範囲でやっていく、それが答えだと思うんです。ある人は目標に達している人もいるけど、ある人の生活の中で本人がこうすると言えば、それが答えなんです。

 

   

 

 片岡さんの医師としての考え方は、患者をひとくくりではなく、その人の属性(性別、年齢、特徴等)に分けて、より詳しく診断していく。その時も、1対1というより医師・看護士等、共同体制で取り組む。患者の意見や気持ち・考え方をよく聞き、従来のやり方にとらわれるのではなく、弾力的に治療や治療の方向性を変化させていく、というものである。このような医師が増えていけばどんなに素晴らしいかと思う。

253)★日本語(文法)ものがたり25★変わりつつある言葉

              

 

 239) 244)では「呼称」(名前の呼び方)、248)では「言葉と文化」特に、「感謝を表す言葉」について考えました。もうしばらく、「日本語文法」にとらわれず、日本語のいくつかの側面について考えていきたいと思います。今回は、変わりつつある日本語の「言葉」の使われ方について見ていきます。

 

(1) フィギャースケートでは、私の推しは羽生弓弦だった。

 

        

 

 (1) のような「推(お)し」という言葉の使い方は、最初は違和感があった人も多かったと思いますが、今ではかなりの人が使うようになってきていす。

新しい使い方の「推し」は、「主にアイドルや俳優について用いられる日本語の俗語で、人に薦めたいと思うほどに好感を持っている人やもの」のことを言います。

 

また、次のような「結果」や「一択」も、若者を中心に使われ始めているようです。

 

(2) 林さんが言ってくれた言葉はとても暖かく優しかった。結果、周りの雰囲気も良くなって撮影は順調に進んだ。(週刊文春23年10月26日号「最後のテレビ論鈴木おさむ」)

      

(3) 林さんが言ってくれた言葉はとても暖かく優しかった。結果、このあと、「金スマ」で放送した時には、視聴率は悪くありませんでした。(同上)

     

         

 

 (2) (3) に出てくる「結果」も、正しくは「結果として」を用いるべきだと思われますが、最近は話し言葉ではよく使われています。

 

 「一択(いったく)」という語は、「この店のカレーはおいしい。私の一択です。」のように使われます。「二択」は「AとB、二択のどちらから選んでください。」のように選ぶものが2つあることを表すが、「一択」は「他に選ぶものがない、迷うものがない、これが一番よい」という意味になります。

            

 この「一択」の使い方も若い人達の間で使われているようですが、私なんかはまだ使い方がピンときません。

 

 私が最近引っかかっているのが、「移住」(いじゅう)という言葉です。

私達のようなシニア世代だと、「移住」は、「南米に移住する」「ブラジルに移住する」のように、遠いところ、通常は外国に移り住むという意味で使っていたし、使われていました。しかし、最近はそんなに遠くなくても、また、日本の中での移動でも「移住する」という語が使われているようです。NHKの「いいいじゅー‼」」(火曜日0:20~)という番組でも、「埼玉への移住」とか「千葉への移住」のような国内移住を紹介しています。

 

  

         

 

「移住」について国語辞書を引いてみましょう。

 

広辞苑①他の土地または国へ移り住むこと。「例:移住者」

    ②開拓・征服などの目的で種族・民族などの集団が、ある土地から他の土地へ移動・定住すること

大辞林①住む所を移すこと。

    ②開拓・植民などのために、国内の他の地あるいは国外の地に移り住むこと。「例:ブラジルに移住する」

岩波国語辞典:よその土地にうつり住むこと。「南米に移住する」

明鏡国語辞典よその土地に移り住むこと。特に、開拓や商業活動などのために外国に移り住むこと。「例:南米に移住する。遊牧民が牧草を求めて移住する」

 

 辞書によって「移り住む」という意味だけを載せているものと、それにプラスして、「外国」、それも開拓や征服を求めて「外国へ行く」という意味両方を載せているものが見られます。

 そして、例文には「南米・ブラジル」など、以前、日本人が開拓を目指して出かけていった国や地域を載せているものが多いようです。

 ここで言えることは、「移住する」という語は、以前は主に「外国へ、開拓や商業活動のために移り住む」という意味で使われていたものが、最近では、国内外を問わず、生活のためによその土地に移り住む」というほどの意味で使われているのだと考えられます。

 私などは以前の使い方が慣れているので、今風に「埼玉に移住して、農業生活を楽しんでいる」はちょっと引っかかるのかもしれません。

 言葉を考える時に、その当該の語と似ている語(類義語)を合わせて考えると、その語の意味や用法がより明確、幅広くとらえることができます。

「移住する」の類義語にはどんなものがあるでしょうか。

 

「移住する」の「類義語」:

  移動する、引っ越す、転居する、移り住む、移る

 

 「移動する」は、動きだけに焦点を合わせ、人・ものがA点からB点へ動くことを表します。「引っ越す」は生き物がA点からB点へ動くことを表しますが、家財道具とともに動くなど、生活の場を移動する、変えるという意味を持ちます。

「転居する」は意味的には「引越しする」と似ていますが、やや硬い、役所言葉的な感じがあります。引っ越す時に出す書類は「転居届」であって、「引越し届」ではないですね。

        

 

        

        

         

  
 では、ここで宿題です。

 あなたのまわりに、今日紹介した「推し」「結果」「一択」「移住する」のように、使い方や意味合いが昔(以前)と少し違って使われている、使われているとあなたが感じる言葉はありませんか。

もし、あれば、いくつでもかまいません。教えてください。

(                 )

252)絵手紙ご披露

 今回は素晴らしい絵手紙の数々に堪能していただこうと思います。

 

 これはすべて、息子のお嫁さんのお母さん(中島早苗さん)が描いたものです。お聞きしたことはないのですが、これだけの腕を持っていらっしゃるのですから、絵手紙の先生をやっておられたかもしれません。

 絵手紙はお年賀が多いですが、季節ごとに、また、プレゼントのお礼として、礼状代わりに絵手紙が来ることが多いです。

 送られてきた絵手紙の中で私の好きな何枚かを、早苗さんのお言葉を添えてご披露します。

 

 

    

 

 年賀状として贈られたもの2種。 「迎春」、「笑顔は春をつれてくる」と書かれている。

 

 

  

           

早春にいただいた絵手紙。「つくしん坊」と「椿の花」。「そっと一輪」と添えられている。

 

 

 

 

 お雛様の季節に贈られた絵手紙。「弥生 たのしいひな祭り」と「あるがまんま。がんばりすぎない」「うん」とある。

 

 

 

 

 晩春から初夏にかけての絵手紙である。「すずらん」と「小春日和で心地よい居眠りをするネコ」。前者には「古希を迎えてしまったけれど いつまでも少女の気持ちを持ちつづけていたい」、後者には「おごらず、ひがまず、ねたまず 日々楽しく過ごす。ケセラセラとね」とある。筆も達筆だ。

 

 

  

               

 真夏の絵手紙。「暑中お見舞い申し上げます 少しむくんでるかな」、「孫が一枚ずつ着物を剥ぐたんび、喚声出てきたよ」とある。トウモロコシの皮をはぐたびに、お孫さんが大きな声を出したのだろうか?

 

 

  

 

秋の「きんもくせい」と、晩秋の「りんご」。

「どこからやってくるこの香り」、そして「『私はまっかなりんごです・・・』と軽トラックに積まれてりんご屋さんがやってくる。なつかしくて、こみあげてくるものが」とある。

 

 

    

 

                  

 

 暑い夏が終わって、「残暑お見舞い」と「お月見」の絵手紙。「夏バテしないようにね。残暑のお見舞い申しあげます」、「ここに立っていると幸せでウルルンときたね」「ほ。」とある。