188)「嫌だった合唱 気がつけば本気」

 これは、1人の中学生男子が新聞の「談話室」欄に投稿した1文である。

輝かしい行いや頑張りを伝える記事が多い中で、この中学生男子の、素直で正直なコメントに私は心惹かれた。

          

 私達は何かの行事があっても、参加するのに気が進まないときがある。でも、多くの場合は、状況から、また、仕方がないから、参加する。

「しかし」というか、「そして」というか、参加しているうちに、少しずつ興味が出てくる場合が多い。そして、最後には、参加してよかったということになる。

 

 この投稿記事は、そうした男の子の気持ちがよく描かれている。

彼は合唱の練習に参加するのが嫌だった。しかし、嫌でも参加しているうちに、少しずつ気持ちが変わっていった。

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産経新聞 令和4年〇月〇日 

 

「嫌だった合唱 気がつけば本気」 中学生 赤倉大吾(仮名)

        

 全校合唱祭が開かれることになった。最初は面倒くさいと思っていた。昼休みを犠牲にして、毎日毎日練習をするのが嫌だった。

 ただ、みんなに呼ばれて練習するうちに、終わるまでなら我慢しようと、遅刻しながら参加した。

 クラスで練習していくうちに上手になった。

自分が足を引っぱるわけにはいかないと思い、練習に遅れることもなくなった。

 真面目に歌っていると、思っていたより楽しいので頑張れた。

しかし、すぐにふざけてしまう自分の悪い癖が止まらないので、何度も先生に怒られた。

        

 

 合唱祭は真面目に本気で歌った。

結果は残念だったけれど、みんなは最高といっていいほど上手だった。

 

 合唱祭を通して学んだのは、やるときはしっかりとやることと、結果はどうであれ、一つの目標に向かって努力するのは、けっこうかっこいいということだった。(埼玉県〇〇市)

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 私は大学4年生の3月までは就職先が決まらなかった。自分がこれから先何をやりたいかが分からなかった。毎日大学の就職案内室へは行くものの、何の収穫もないまま、戻って来ることが多かった。

       

 

 幸い3月に来た財団法人の「外国人に対する日本語講師」の募集に引っかかった。引っかかったから良かったものの、そうでなかったら、どうしていただろうと今でも思う。

 財団法人の組織の体制が整っていたせいか、入社してからは迷うことなく、「外国人に対する日本語教育」に邁進することができた。

 月日とともに、だんだん外国人に日本語を教えることが楽しくなり、自分の天職のように思えるようになっていった。

         

 

 しかし、最初は外国人に日本語を教えることがどんなことか全く知識がなかったし、経験もなかった。憧れも、興味もなかった。まったく知らない世界であった。

 

 最初は何の興味も力もなく、わからないままに、時には嫌々やっていたことが、だんだん面白くなり、最後にはどっぷりはまってしまうことは、人間にはあるのではないだろうか。

 普通の人間は、大概そういう過程を踏んで、自分の仕事や専門を築いていくのではないだろうか。

 小さい時から、1つの目標があり、それに向かって邁進できる環境に育つ人間は、オリンピックの金メダリストや、例えば、野球の大谷君、将棋の藤井君なんかはそうであろうが、やはり少数派である。

      

 

 今回は、短いながら、正直な男の子の気持ちをお送りした。