64)腰痛と私

整形外科では定評のある八王子の〇〇クリニックに通い始めて1年になる。

転んだわけでもないし、どこかに背骨をぶつけたわけではないのに、去年の初めごろから腰が痛くなった。20年ほど前何度かぎっくり腰を起こし、それ以来、骨の周りの筋肉を強くするサプリメントを飲んでいたので、ここしばらくは腰痛からは遠ざかっていた。

最初の症状は、洗面台で顔が洗えないことであった。痛みで背中が曲げられない。洗面器に顔が届かないので、お湯をすくって顔にかける。

日が経つにつれて、だんだん腰の痛みが強くなっていく。

いつもは腰の右側が痛むが、時に真ん中が、たまに左側が痛かったりする。家の中でダラダラ過ごしているときは、それほど痛みは感じない。外で歩くときに痛みが出てくる。

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最初は家から駅まで歩けた。約800mの距離である。それが、日を追うごとに歩ける距離が縮み始めた。500m、400m、300m。ついには歩き出して何歩か行くだけで、腰痛が始まるようになった。

近所の整形外科へ行った。

医者はまず腰のレントゲンを撮った。腰椎の上から3番目に圧迫骨折が起こっているという。レントゲンの写真は少しぼやけていたが、3番腰椎が左右いびつになってクシュンと潰れている。

「2番目も危ないですね」

見ると、2番目の骨も3番目ほどではないが、左右いびつになっている。

「しばらく様子を見ましょう」ということで、ビタミンDの薬をもらって飲み続けた。そして、3か月が過ぎた。しかし、痛みは一向になくならない。むしろひどくなっていく。

3か月目のレントゲンでは、2番目、3番目に続いて1番目の腰椎も怪しくなっているという。

ものの本によると、腰痛の85%は原因がわからないという。残りの15%のうち、ほとんどは3か月程度で痛みが治まってくるという。私は心配になった。痛みが続いてもう3か月ではないか。

大きな病院で見てもらったほうがいいということで、〇〇クリニックを紹介された。〇〇クリニックは大学病院ほど大きくはないが、入院棟を持つ総合病院で、整形外科が有名である。

担当医になったのは60歳近くのベテラン医師だった。診察前に撮った腰部のレントゲンを見て、先生は呆れたように言った。

「今どき、背骨がこんなになるまで放っておく人がいるんだ!」

この「今どき」には、健康志向が続いているこの時代にという意味合いが込められている。私は「骨のサプリメントを飲んでいる」と言ったが、先生は「そんなものは」という感じで取り合わなかった。

診察の結果、背骨を支えるための、胸からお腹までのコルセットの着装、骨芽細胞を育て破骨細胞をやっつける皮下注射(テリボン)の実施、そして、ビタミンDとCの薬剤を服用することになった。

「このままだと腰椎の骨折が広がって、寝たきりになる。今、徹底的に治療しておく必要がある。今が最後のチャンスだ」ということであった。

それから、週一回のテリボン注射が始まった。しかし、私は注射のたびに吐き気がひどく、最後には注射する前から吐き気を催すようになり、テリボンは4か月で断念した。そして月1回で済むイベニティ注射(主に骨芽細胞を育てる)に切り代わり、それが今も続いている。

通院の内容は、診察前のレントゲン、担当医による診察、処置室での注射、次回の予約取り、会計支払いという4つである。4つの作業ごとに20分から30分、時にはそれ以上待たされる。

日が経つにつれて、通院にも、順番待ちにも慣れてくるようになった。最初は周りを見る余裕はなかったが、落ち着いて観察すると、〇〇クリニックに来る患者のほとんどはお年寄りだ。一人で来ている人もいるが、多くは家族が付き添っている。奥さんか旦那さんの場合が多いが、息子、娘、お嫁さんも多い。

患者には車椅子に乗っている老人も多い。背中の曲がっている人、腰の曲がっている人、立ち上がれない人、歩行の困難な人、顔面のゆがんでいる人、声がスムーズに出てこない人、首の回らない人、耳や目の不自由な人、などなど。

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患者の中心は80台半ばであろうか。彼らの動きはかなりスローである。しかし、彼らは大きな声を出さない。横柄な振る舞いをしない。一生懸命立ち上がろうとし、小刻みに、よたよたと歩き、左右に揺れ、ドスンと椅子に座り(そっと座る調節ができない)、前かがみに歩く。

最初私はそういう老人を見るのが嫌だった。「あ~ここは年寄りばっかり・・・」とうんざりするような気持だった。しかし、しばらくすると、自分自身の思いに変化が生じてきた。「あ~、みんな頑張ってるな。みんな一生懸命なんだ」と思うようになっていった。

この人達は、私より重症の人達ばかりだ。自分の腰痛なんて大したことないじゃないかと思えるようになった。

そして、気がついた。お年寄りたちは自分の病気が大変なのに、他の人にはその大変さをあまり見せない。彼らは病気と、また痛みと、そして大きな不便さと、つらいながらも折り合いをつけて生きているのだ。

彼らにとって病(やまい)や痛みは長く、いや、一生続くものかもしれない。でも、彼らはそれを仕方のないこととして受け取り、淡々と、仲良く付き合っているのだ。 

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そして、近頃私も、痛みをなくしてほしい、なくしてみせる、という強い気持ちは弱くなっている。ま、いいや、私もゆっくり付き合おうという気持ちになってきている。

果たして、これが良いことなのかどうかはわからないが。