3) 人は「1日15分」何をすれば生きる力が得られるか?

前回のブログで、朝ドラ「半分青い」での、中村雅俊演じる祖父のせりふ「人間は1日15分空が見られれば生きていけるんだよ。」について書いた。

そして、私は、「1日15分だけで生きている実感を感じられるものは何だろう」について考えている。

「1日15分だけで生きている実感を感じられるもの」は、まず「空」、そして「雲」。

雲一つない青空もそうだし、白い雲が浮かんでいる空もすてきだ。雲は少しずつ動き、形を崩していく。その形が何かに似ているときもあるし、誰かに似ているときもある。

   昼間の青空も私たちに元気を与えてくれるが、日の出前の朝焼けの空も美しい。橙色の雲のたなびきが、控えめでやさしい。

もちろん、夕日に映える空も、沈んでいく真っ赤な太陽も、心奪われる。

   空とともに私に元気を与えてくれるのは木々。

メタセコイヤや、けやき、イチョウなどの大樹もそうだが、公園や道端に生えている小さい雑木も、近くに寄れば、懸命に生きているのがわかる。枝の分かれ目でいくつかの芽吹きが始まっている。細い小枝が少しずつ空に向かって伸びている。

古い木や新しい木、大きい木や小さい木。これらをじっくり見ていると、1日15分ぐらいは過ぎてしまう。

   山の景色も人の心を洗ってくれる。遠くに見える青い山。季節によっては雪をいただいているときもある。山が連なって自分の住んでいる町を取り囲んでいる。

   美しい山景色の最たるものは富士山だろう。人は皆、富士山を求め、富士山がちょっとでも見えれば生きる喜びを感じた。私の町からは富士山の山頂だけが見える。冬は真っ白に、夏は裸の青い山頂になる。他の季節では霞で煙ることが多い。

富士山は高いせいか雲がかかりやすく、特に午後は雲で覆われてしまう。

   こう書いていくと、1日15分見るだけで生きられるものは自然なのだろうかという気がしてくる。ペットはどうなのだろう。可愛い子どもや孫はどうなのだろう。

 

   それぞれの人にはそれぞれの異なった「1日15分見るだけで生きられるもの」があるのだろうか。