284)山田太一『異人たちとの夏』について

            

 

 山田洋次監督は渥美清主演の「男はつらいよ」を撮った監督。同じ山田姓のせいか、それとも、静かな性格のせいか、山田太一さんは時々山田洋次監督と間違われたり、陰に隠れていたりする。

 山田太一さんは2023年に89歳で逝去されたが、脚本家であり、映画監督であり、小説家でもあり、その静かな、しかし一方で、その気さくな性格で知られる。名作ドラマとしては、「岸辺のアルバム」「男たちの旅路」「不揃いの林檎たち」などが有名である。

 

           

 

 山田太一さんは2023年に89歳で逝去されたが、脚本家であり、映画監督であり、小説家でもあり、その静かな、しかし一方で、その気さくな性格で知られる。名作ドラマとしては、「岸辺のアルバム」「男たちの旅路」「不揃いの林檎たち」などが有名である。           

 山田太一さんの小説や脚本は、彼のきめの細かい性格を反映して、ストーリーそのものや、登場人物や場面の描き方などが非常に丁寧である。

 

 「異人たちの夏」の一節を紹介する。写真は映画(1988)の中でのものである。

 

 主人公は父母が故人であるということを知りながら、父母の家で次のような会話を交わす。

 

・・・・・・・・・・・・

「今日は夕飯を外でっていうのは、どうですか?」と私は父のほうへ行く。

「外って?」母が振り返る。

「お父さんたちとすき焼きを外で、なんかなかったでしょう?」

「あのころはそんなことはとってもなあ」と父は扇風機を回るようにして、位置をずらしている。

 

        

 

「今夜はおごらせてもらえませんか?」

「ここじゃなくて?」と母の声に緊張のようなものを感じた。父の動きも止まっている。

 

「あー、ここのほうがいい」と、私はすぐ取り消す気になったが、「そんなことはねえさ」と父が言う。

「だって・・・」と母が台所でまだ棒立ちでいる。

 

 キャッチボールをしに外へ出たことがあるから、少し足を延ばして雷門あたりのすき焼き屋に入るのは何でもないことに思ったのだが、両親にとっては何か高い障害を越えることのようだった。

 

        


 「いいんです。ちょっとそう思っただけで・・・」

 

 

 別れを言うのにこの部屋ではないほうがいいような気がしていた。たとえば、すき焼き屋の広間のような大勢の客や仲居がいるところのほうが話しやすい気がした。しかし、両親に苦痛を強いる気はなかった。

 

「だいたいすき焼きの季節じゃねえよ。ここで何か食べりゃいいじゃねえか」

「そうですね。そうしましょう。一度3人で鍋囲むっていうのをいいなあと思ったんです」「冷房がないと、鍋はねえ―」と母が言う。

「いいんです。すみません、余計なことを言って」

 

「立ってねえで、スイカ切らねえか」

 

         

 父が母に小言のように言う。和やかな空気に水を差したようになり、3人の世界が壊れやすいことを知った。今日は、しかし、そんなことは言っていられない。2人を打ちのめすことを言わねばならない。

 

         

 

 主人公が、亡霊でしかない父母との決別を決心し、その前に別れの会としてすき焼きでもと提案したのだが、結果としては、これを境に父母は現実の世界から去っていってしまう。両親に会うようになってから、どんどん痩せてきた主人公がようやくのことで命拾いするところであった。

 主人公の、こうでもない、そうでもないと父母の気持ちを気遣う心の優しさが、文面にあふれている。

 

 最終的には父母は去っていった。束の間だったが、愛し合ったアパートの女とも別れた。彼に助言し、断固としてあの世に引きずられないよう強く引き留めたのは、主人公の妻と恋愛関係に陥った同僚であった。

「異人たち」というのは父母であり、アパートに住む女性であった。そうした現実には存在しない幻に引き寄せられ、どんどん命を吸い取られていく主人公の物語でもあった。