247)処理水放出と日本語

 今年の8月24日、政府は福島第一原発に溜った処理水(汚染水)を放出することに決めた。それに先立ち、岸田首相は、放出に反対する全漁連(=全国漁業協同組合連合会)との話し合いを実施した。

 

      

 

 全漁連の漁師さん達の反対は根強く、彼等は風評被害への懸念や、国や東京電力の説明不足などを理由に、一貫して反対の態度を崩さなかった。

 テレビニュースで放映される漁師さんの顔は、全員一致して怖い顔で、頑強に処理水放出反対を訴えていた。したがって、岸田首相との話し合いでも、全魚連が反対するのは目に見えていた。

 話し合いの模様はニュースで報道された。話し合いの前には、全漁連が譲歩する気配は感じられなかった。

 

 しかし、私は彼らのある表現(言い方)を聞き、全漁連が処理水放出に賛成するのも時間の問題だという印象を受けた。

 「あ~、日本人はこうやって、今まで反対していた事柄を賛成に変えていくんだ」ということを知った。日本人は、明瞭白白に「分かりました。今までの反対を撤回します。」「今後は政府に全面的に協力します。」などとは言わないということを知った。

 

      

 

 政府と全漁連のやりとりのポイントは次のようであった。(NHKニュースより。下線は筆者が施す。)

 

「((政府は)さらに、風評対策などの予算について、既存の水産予算とは別枠で長期にわたって確保し、対応していく意向を伝え、処理水の放出への理解を求めた。)

 これに対し、全漁連の坂本会長は、「国民の理解が得られない処理水の海洋放出に反対であるということはいささかも変わりはない」と述べつつも、「科学的な安全性への理解は、私ども漁業者も深まってきた。しかしながら科学的な安全と社会的な安心は異なるものであり科学的に安全だからといって例えば風評被害がなくなるわけではない」と述べた。」

 

      



 全漁連が一歩譲歩し始めたと感じさせた「表現」は、「「・・・ということはいささかも変わりはない」と述べつつも、科学的な安全性への理解は、私ども漁業者も深まってきた。」の部分である。

「放出反対の気持ちは全く変わらないが、」と前文で否定しながら、後文で「理解は深まってきた」と、放出に理解を始めたことを忍ばせる言い方である。

 「反対の気持ちは全く変わらない」と言いながら、(以前よりは/以前に比べて/以前と異なり)「安全性への理解は深まってきた」と表現する。

 このように婉曲に、婉曲に言って、全漁連は、「実は、賛成するようになった」と言おうとしているのである。

 私は全漁連の言葉を聞いたとき、「あ、全漁連の人達は放出に賛成したのだ」と分かった。

      

 

 また、あとに続く坂本会長の言葉、

「岸田総理の「たとえ数十年にわたっても、国が全責任を持って対応をしていく」という発言は 非常に重い発言だと受け止めている」という発言もよく似たことを表している。「(政府・岸田首相の発言は)非常に重い発言だと受け止めている」という言い方で、「であるから、その重い発言を重視して、政府を信頼する」ということを表している。

 

 日本人はこういう微妙な表現の中に生きている国民なのだ。はっきりと、「賛成します」とは言わないで、「理解が深まってきた」と言うのだ。そして、聞いている日本人も、こういう婉曲な言い方から真相を悟っていくのだ。

 

政府と全漁連との話し合いは、日本人の認識の仕方、表現の仕方、態度の表し方などを、今更ながらに教えてくれたような気がしている。