毎年1月上旬、3月上旬になると、震災をテーマにしたテレビ番組やラジオ番組が始まる。一つは阪神・淡路大震災(1995年1月17日発生)、もう一つは東日本大震災(2011年3月14日発生)である。今年も慰霊のためのいくつかの行事はほとんど終わってしまった。
今回のテーマは、阪神・淡路大震災の時に歌を作り、被災者を慰め励まし続けた小学校の音楽教師の話である。
皆さんは、27年前の1月17日阪神・淡路大震災発生の時、何をしていらっしゃいましたか?
私は茨城県の職場でテレビを食い入るように見つめていた。夜明け方に起こった大地震は、各地で大火災を引き起こし、テレビ映像は、夜明け前の暗闇の中で、あちらこちらで家や建物が炎と煙を出して燃えている異様な光景であった。
阪神・淡路大震災では6500人の人が亡くなり、関西の人々に大打撃を与えた。私は大阪生まれで、しかし、関東での生活が長いので、「震災」というと、その後に起きた東日本大震災のほうを思い出してしまうが、神戸、大阪、京都などでも未だに被災の傷跡を抱えている人は多いと聞いている。
関西で生まれた「しあわせ運べるように」という合唱曲は、阪神・淡路の被災地の人々はもとより、東日本大震災の被害者の人達、その後に起きた新潟地震、熊本地震、北海道地震などの被災者を、慰め、励まし続けている。
その歌の歌詞をご紹介する。
「しあわせ運べるように」 作詞・作曲 臼井真
地震にも負けない 強い心をもって
亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きていこう
傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
支え合う心と 明日への希望を胸に
響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように
地震にも負けない 強い絆をつくり
亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きていこう
傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
やさしい春の光のような 未来を夢み
響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように
この歌は、当時、神戸市内の小学校で音楽を教えていた臼井真(うすいまこと)さんが、自身も震災に遭って、家が全壊した中で、突きあげてくる思いで、10分で書き上げた作品だという。
この歌が、避難所になった臼井さんの小学校で少しずつ広がり、避難者、ボランティアの方々、学校の先生などの共感を得て、どんどん広がっていった。
そして、東日本大震災の被災者の方々、他の震災に遭った方々、全国中に、すべての人々に広がっていった。
臼井さんは幼稚園のときから曲作りを始めていた。耳が良かった。しかし、楽譜は読めなかった。青春期はニューミュージック最盛の時代で、同時代には中島みゆき、ユーミンがいた。
白井さんは、ホリプロスカウトキャラバンで郷ひろみの歌を歌った。ヤマハのポピュラーソングコンテストにも出たことがあったが、2次選考で落ちた。審査員からは「歌詞はいいけど、曲はイマイチ」と評価された。
このコンテストで優勝したのは、中島みゆき「時代」であった。
臼井さんはその後、東北の被災地にも何回も足を運び、いくつかの小学校と交流、歌詞の「神戸」のところをその土地の名前に変えて、歌を指導した。
今ではこの歌は海外にも広まり、10か国語に翻訳されている。臼井さんはそれらの収益金を東日本の方々の支援に寄付している。
合唱を聞いて、幼稚園の子供も毎回涙をこぼす。多くの被災者に勇気と感動と幸せを与えた。
そして、その勇気と感動と幸せが、歌っている子供達自身にも大人達にも、聞いている人達にも跳ね返ってきて、そして、自分達が、すべての人達が、幸せになっていく。
神様っているんだなあと思う。臼井さんはやはり神様の命を受けて曲を作り、被災者の人達だけでなく日本中の人達、世界中の人達に幸せを送っているにちがいない。兵庫県知事賞を授与され、今は小学校教師を卒業し、某女子大学で音楽指導、音楽家育成に当たっておられる。